小孫さんショート

52歳のとき、10年間派遣社員として勤めていたみずほコーポレート銀行(現みすほ銀行)を退職しました。慣れ親しんだ同僚たちと離れる寂しさや、シングルマザーとして生きていく上での経済的な不安もありました。それでも、一歩先にはきっと違う風が吹いている。そう信じての決断でした。

子どもが高校生になったタイミングで、みずほコーポレート銀行への統合を半年後に控えた、旧日本興業銀行本店に入社。外国為替部企画管理班に配属されました。
統合後、新たな文化をつくり上げていく過渡期。部内の日常業務のほか、組織やレイアウト変更、業務フローの構築、新規システム開発から導入など、日々新しい業務があり、他部署とも関われる仕事は楽しかった。

しかし、7年ほど経って落ち着いた頃に、予約預金課に異動、高度な銀行業務を求められるようになりました。責任の重い任務を何とかこなしていたものの、出社すると咳が止まらない状態に。
――何の資格もなく、50代を過ぎての再就職は難しいだろうな……。
転職したいと考えても、何かと理由をつけて諦める自分に、モヤモヤしていました。

そんなとき、長女から妊娠の知らせが舞い込みます。
私にとっては初孫。とにかくうれしくてほっとした反面、余裕のないいまの状況で、産前・産後の面倒をみてあげられるだろうか。仕事はどれぐらい休めるのだろうか……と心配が頭をよぎりました。
孫という新しい命に出会える晴れやかな出来事に不安を感じる自分が何とも嫌でした。
「この機会に辞めなければ、この後も何も踏み出さない人で終わるだろう」
そう考えて、退職を決意しました。

50歳を過ぎての再就職は難しいと思い込んでいましたが、知人の紹介でこれまでにいくつかの仕事を経験、銀行で得た企画力やコミュニケーション力が役に立ちました。定年後は神奈川県葉山のシェアハウスで若い人たちと一緒に共同生活をしたり、東京藝術大学のプロジェクトに参加したり、あのとき一歩を踏み出したからこそ、その後は決断も早くなり、自分らしく生きることができています。孫も4人に増えました。

最近では、「みんなのおばあちゃんプロジェクト」と称して、子育てサポートや地球環境の改善を遂行中。生ごみを堆肥化して、家庭から出る生ごみ焼却ゼロを目指す「コンポストアドバイザー」としても活動を始めました。
いくつになっても、1cm前を吹く風をおもしろがりながら、新しいことにチャレンジできる元気なおばあちゃんでいたいと思っています。

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