
2023年、中学の保健体育の教師から特別支援教室の巡回指導教員に転向することを決めました。
中学時代は陸上に熱中していましたが、ヤンキーたちの顔色をうかがう先生ばかりでつまらない学校生活だなぁと感じていました。そこに、テレビドラマ『GTO』が始まったのです。それまでは「きれいごと」が嫌いで、金八先生アレルギーのようなものがあったのですが、GTOの鬼塚先生は違いました。
「カッコイイ! 教師になって、黒のジャケットに白のタンクトップを着てやるんだ!」と思ったのが、教師を目指すようになったきっかけです。学校をもっと面白い場所にしたい、と思いました。
強みの運動神経を生かし、体育教師になるために国士舘大学の体育学部に進学。卒業後、2008年から東京都の公立中学校で保健体育の教師として働き始めました。
しかし、理想に燃えていた私は、GTOを体現すべく粋(いき)がって、ひとりよがりの教育を生徒たちに押し付けてしまったのです。生徒たちに好かれたい一心で、学級だよりや掲示物に凝ってみたり、さまざまな「サービス」をしたりして、毎日終電帰り。そんな日々が5年ほど続いたとき、3歳上の先輩教師に言われました。
「中澤さんは生徒に好かれるためにいろんなサービスをしてあげるね。僕は特に何もしないけど、1年で生徒全員を振り向かせられると思うから見ていて」
これは、嫌味や意地悪ではなく、私に違う価値観を感じてもうための言葉でした。
結果、その言葉の通りになりました。生徒が私に振り向かないどころか「アンチ」まで生まれたのです。「なんでだろう?」と思ったときに、その先輩は子どもの自己決定を尊重し、生徒1人ひとりに必要なときに必要な「言葉」を届けていただけでした。言葉に違いがあると気づいた僕は、言葉を磨き、生徒1人ひとりが自ら考えて決めていくことを大切にする教育の必要性を強く実感しました。
2016年には別の中学校に異動になり、生活指導主任を任されました。私生活も変化し、転勤と同じタイミングで、子どもを授かりました。長男は滑舌よく話すことや集団生活を送ることが極端に難しい特性を持っていて、子育てをきっかけに心理学やコーチングを学ぶようになりました。
学んだことを授業に生かしてみたいと考え、学ぶ理由も学ぶスピードも学び方もそれぞれでいいという「自由進度学習」を取り入れました。これはとても成果が出て、支援が必要な生徒も分け隔てなく、誰かと比べることなく学ぶ形ができました。
我が子が特別支援のお世話になることになり、自分自身が支援についてもっと学びたいという思いと、自由進度学習の要素や生徒1人ひとりの特性を見る手法を学校全体で導入して、支援が必要な生徒たちが、「自分で自分を支援できる(自己理解と支援の要請ができる)」ことを手助けしたいと思うように。
そこで、教科担当から外れ、特別支援巡回指導教員になることを決意しました。支援を要する我が子との時間のためにも、当時担当していた東京都の陸上選抜チームのコーチも辞任しなければなりません。でも、迷いや不安は感じませんでした。「保健体育と陸上という最大の武器を捨てたら、自分には何が残るんだろう?」というワクワクの方が強かったのです。
2023年から、東京都内の4つの学校を巡回する特別支援巡回指導教員として働いています。教室にいるのは、不登校や発達障害など「みんなと違う」ことで苦しんでいる生徒たちです。生徒のペースを大切にしながら、短時間で教育効果を高める手段としてAI活用も進めています。
自分の大事なものを捨てたら、僕にはずっと磨いてきた「言葉」が残りました。まだ完璧ではありませんが、1人ひとりに合った言葉を、必要なタイミングでかけることで、子どもたちやその家族の役に立てているという実感があります。
最近では、校外活動として子育て支援の活動も始めています。面談やセミナーを通して、支援を要する子どもたちの親と話すと、ほぼ全員が涙を流します。「これはまずいな」と思いました。両親共働きで子育てしている家庭がほとんどで、毎日育児と仕事に追われながら、相談できる人もいない。そして、その発達特性や人との違い、人に迷惑をかけてしまう我が子の責任は自分の子育てにあると嘆き、自分の時間を削って自己犠牲を払う方々ばかり。子どもと親の両方を救わなければ、教育は成り立たないと思いました。
しかし、現状では学校が家庭内のことまで関与することはありません。僕は子育てを親だけに押し付けない先生になりたいんです。学校が家庭に協力してくださいとお願いするように、家庭が学校に子育てに協力してくださいと言える、それが当たり前になるような社会になればいいなと思っています。
(構成/尾越まり恵)
中学時代は陸上に熱中していましたが、ヤンキーたちの顔色をうかがう先生ばかりでつまらない学校生活だなぁと感じていました。そこに、テレビドラマ『GTO』が始まったのです。それまでは「きれいごと」が嫌いで、金八先生アレルギーのようなものがあったのですが、GTOの鬼塚先生は違いました。
「カッコイイ! 教師になって、黒のジャケットに白のタンクトップを着てやるんだ!」と思ったのが、教師を目指すようになったきっかけです。学校をもっと面白い場所にしたい、と思いました。
強みの運動神経を生かし、体育教師になるために国士舘大学の体育学部に進学。卒業後、2008年から東京都の公立中学校で保健体育の教師として働き始めました。
しかし、理想に燃えていた私は、GTOを体現すべく粋(いき)がって、ひとりよがりの教育を生徒たちに押し付けてしまったのです。生徒たちに好かれたい一心で、学級だよりや掲示物に凝ってみたり、さまざまな「サービス」をしたりして、毎日終電帰り。そんな日々が5年ほど続いたとき、3歳上の先輩教師に言われました。
「中澤さんは生徒に好かれるためにいろんなサービスをしてあげるね。僕は特に何もしないけど、1年で生徒全員を振り向かせられると思うから見ていて」
これは、嫌味や意地悪ではなく、私に違う価値観を感じてもうための言葉でした。
結果、その言葉の通りになりました。生徒が私に振り向かないどころか「アンチ」まで生まれたのです。「なんでだろう?」と思ったときに、その先輩は子どもの自己決定を尊重し、生徒1人ひとりに必要なときに必要な「言葉」を届けていただけでした。言葉に違いがあると気づいた僕は、言葉を磨き、生徒1人ひとりが自ら考えて決めていくことを大切にする教育の必要性を強く実感しました。
2016年には別の中学校に異動になり、生活指導主任を任されました。私生活も変化し、転勤と同じタイミングで、子どもを授かりました。長男は滑舌よく話すことや集団生活を送ることが極端に難しい特性を持っていて、子育てをきっかけに心理学やコーチングを学ぶようになりました。
学んだことを授業に生かしてみたいと考え、学ぶ理由も学ぶスピードも学び方もそれぞれでいいという「自由進度学習」を取り入れました。これはとても成果が出て、支援が必要な生徒も分け隔てなく、誰かと比べることなく学ぶ形ができました。
我が子が特別支援のお世話になることになり、自分自身が支援についてもっと学びたいという思いと、自由進度学習の要素や生徒1人ひとりの特性を見る手法を学校全体で導入して、支援が必要な生徒たちが、「自分で自分を支援できる(自己理解と支援の要請ができる)」ことを手助けしたいと思うように。
そこで、教科担当から外れ、特別支援巡回指導教員になることを決意しました。支援を要する我が子との時間のためにも、当時担当していた東京都の陸上選抜チームのコーチも辞任しなければなりません。でも、迷いや不安は感じませんでした。「保健体育と陸上という最大の武器を捨てたら、自分には何が残るんだろう?」というワクワクの方が強かったのです。
2023年から、東京都内の4つの学校を巡回する特別支援巡回指導教員として働いています。教室にいるのは、不登校や発達障害など「みんなと違う」ことで苦しんでいる生徒たちです。生徒のペースを大切にしながら、短時間で教育効果を高める手段としてAI活用も進めています。
自分の大事なものを捨てたら、僕にはずっと磨いてきた「言葉」が残りました。まだ完璧ではありませんが、1人ひとりに合った言葉を、必要なタイミングでかけることで、子どもたちやその家族の役に立てているという実感があります。
最近では、校外活動として子育て支援の活動も始めています。面談やセミナーを通して、支援を要する子どもたちの親と話すと、ほぼ全員が涙を流します。「これはまずいな」と思いました。両親共働きで子育てしている家庭がほとんどで、毎日育児と仕事に追われながら、相談できる人もいない。そして、その発達特性や人との違い、人に迷惑をかけてしまう我が子の責任は自分の子育てにあると嘆き、自分の時間を削って自己犠牲を払う方々ばかり。子どもと親の両方を救わなければ、教育は成り立たないと思いました。
しかし、現状では学校が家庭内のことまで関与することはありません。僕は子育てを親だけに押し付けない先生になりたいんです。学校が家庭に協力してくださいとお願いするように、家庭が学校に子育てに協力してくださいと言える、それが当たり前になるような社会になればいいなと思っています。
(構成/尾越まり恵)
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