田中友理恵

2022年4月、バイアスロンから転向し、スキーモの選手として2026年に開催されるミラノオリンピックへの出場を目指すことに決めました。

地元が新潟県南魚沼市で雪国だったこともあり、クロスカントリースキーは学校の授業でも習う身近なスポーツ。小学校6年生のときに地区大会で初優勝をして以来、オリンピック出場を目指すようになっていました。地元のスキークラブに中学校3年生まで通った後、高校ではクロスカントリースキー部に入部。大学3年時の全日本学生選手権の開催期間中、スキー部の部員でバンクーバーオリンピックをテレビ観戦していたところ、クロスカントリースキーと射撃を組み合わせたバイアスロンという競技があることを知りました。映像を見てピンとくるものがあり、「面白そう!」と直感。クロスカントリースキーでは全日本入賞経験はあれどオリンピック出場への限界を感じていた時期でもあったため、バイアスロンへの転向を決意。バイアスロンの競技を専門としている部隊が陸上自衛隊冬季戦技教育隊(現・自衛隊体育学校)にあると知り、2011年4月に入隊して真駒内駐屯地での勤務が始まりました。

射撃は当初まったく当たりませんでしたが練習するうちに腕を上げ、バイアスロンを始めて3年目にソチオリンピックの選考に参加してみると最終選考まで残ることができました。選考を受けるまでは「出られたらラッキー」ぐらいに考えていた私ですが、最終選考に残って落選したことで「次は何としても出たい!」と考えるようになり、練習への取り組み方も変わっていきました。

2018年平昌(ピョンチャン)オリンピック、2022年北京オリンピック出場。オリンピックに出場するという夢を叶え、年齢的にも33歳になっていた私はいい区切りだと思い2022年3月に引退を決意。ところが引退試合となるワールドカップではスキーの走りも射撃もシーズンを締めくくるにはまったくふさわしくない、むしろワーストを更新するような結果となり、「こんな終わり方でいいんだろうか」というモヤモヤが残る引退、退役となりました。

ちょうどその頃、SNSを通じて2026年のミラノオリンピックでスキーモという競技が新しくオリンピック競技として採用されたことを知りました。スキーモはスキー板を担いで雪山を登ったり、滑走したりする雪山ツーリングのタイムレース競技です。ワールドカップの試合後レンタルスキーモセットで体験してみると、スキー板の着脱などさまざまな要素がある競技性と走り終わった後の達成感に楽しさを感じました。10日後に長野県白馬村で白馬八方スーパーバーティカル大会があるというので出場してみると初出場で2位入賞を果たしました。手ごたえを感じてスキーモへの転向を決意し、2022年10月にはアスリート採用に興味を持っていたアスクゲート(不動産業や人材派遣事業を展開)への入社が決定。夏はフルタイムで花火大会などのイベント運営に携わり、冬季は競技に専念する生活が始まりました。

2023年、長野県白馬村で開催された日本選手権では2日間とも優勝し、去年に引き続き2連覇を達成。2026年、ミラノオリンピックの出場枠は世界の中で男女各18人。今冬開催されるワールドカップや世界選手権の結果でオリンピック出場が決まります。いまはミラノで再びオリンピックの舞台に立つことを目標に、日々の練習に励んでいます。


(構成/岸 のぞみ)

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