祖父の脳梗塞をきっかけに保険適用外看護サービスを立ち上げ、新型コロナウイルスの流行とともに美容の力の必要性を感じたことを機に、医療と美容を融合させたサロンを始めました。
祖母は美容師、父が看護師という家庭に育った私。そんな私は昔から忙しい父に代わって保護者参観や運動会に駆け付けてくれる祖父のことが大好きな「おじいちゃんっ子」として幼少期を過ごしました。そして高校3年生の進路相談当日、学校まで車で送ってくれた祖父の「資格を取れる学校にしたほうがええんちゃう?」という鶴の一声で看護師を目指すことに決めました。
看護学校卒業後は総合病院の消化器内科や緩和病棟で看護師として働きました。ところが5年前、私の人生は大きく変わりました。その日は夜勤明けで私は自宅で寝ていました。すると母からの1本の電話。「おじいちゃんが倒れたから、すぐにおじいちゃんの家に行って!」と言われ、愕然としました。
急いでかけつけると、祖父はリビングで倒れており、意識はあるものの体は動かず目の焦点も合っていない状態。ろれつも回っていませんでした。救急車を呼び「大丈夫、うちの先生が診てくれるからな!」と祖父に語りかけると「お前が言うんやったらおじいちゃん信じるわ」と何とか答えてくれました。病院で急ぎ診察してもらったところ、脳梗塞との診断。手術の結果、一命は取り留めたものの、右半身不随となってしまったのでした。
そんな中、内科病棟で自分が受け持っていた高齢の患者さんが、孫の結婚式前日にトイレで倒れ、誰にも気づかれることなく亡くなるという事態が発生。ちょうど我が家でも妹の結婚式が控えており、その姿が祖父に重なりました。半身不随の祖父を安全に結婚式につれていくにはどうしたらいいのか。調べてみるとブライダルナース、トラベルナースという訪問看護のオプションサービスがあることを知りました。ところが私の住んでいた滋賀県にはそのようなサービスはありません。たまたま自分が看護師だったことから半身不随の祖父を結婚式会場に連れていくことができたけれど、普通の家庭ではそれが難しく、それに類するサービスも需要を満たしているとはいいがたい状況でした。
この頃から、看護師として活躍できる場所は病院の中だけではない、と強く感じるようになり、受け持っていた患者さんのご家族など、身近な方々からの保険外看護の依頼を少しずつ引き受けるようになっていきました。
依頼のあった患者さんは退院後に訪問して、医師の指示のもとインスリン注射や内服の管理、ハンドマッサージや爪切りなどをしていましたが、コロナ禍を機に「コロナ受け入れ病院で勤務する看護師さんはちょっと……」と敬遠されるように。また、看護師がコロナ禍に美容室やネイルサロンに通うことをよく思わない人もいて、美容が楽しみだった私のモチベーションはダウン。周りの看護師も同じでした。このときに気づいたのが「美容の必要性」と「健康の大切さ」。この両方をこれからの仕事にしていきたい!と考えるようになりました。
こうして2021年12月に病院を退職し、翌2022年に独立し、法人化。医療保険の中で賄いきれない保険外の看護サービスの運営、そして医療知識を生かしたスキンケア・インナーケアのサロン事業を2大事業として開始しました。時間にとらわれるのではなく、求められる人や物事に最善のサービスを。「すべての人に愛、幸せ、笑顔を届ける」を理念とした会社は今年3月で3期目を迎えます。求めてくれるお客様、ともに歩いてくれるパートナー、そして支えてくれる家族あっての私です。あのときにあの決断をしたことが正しかったと思えるよう、日々努力していきます。