遠藤さんショートプラス

2013年3月14日、僕は羽田空港から新千歳空港に向かう飛行機に乗り込みました。22年間続けた俳優業を引退し、家族が暮らす札幌へ。39歳の決断でした。

3人兄弟の末っ子として札幌で生まれました。タクシードライバーの父と、僕が幼い頃までは専業主婦だった母のもとで、甘やかされて育った。声が大きくやんちゃ。どこにでもいる、ごく普通の子どもだったと思います。よく「敷かれたレールの上を歩く人生はつまらない」なんて言いますが、僕自身はレールの上を歩く、ごく一般的な人生を望んでいたのです。

ところが、高校生のときにレールから転げ落ちてしまいます。地元の公立高校に進学したものの、新しい環境になじめず、常に漠然とした不安や焦りを感じていました。同級生たちは、勉強、部活、恋愛と青春を謳歌し、光り輝いて見えます。自分1人だけ、取り残されているような感覚。それでいて、自分は何者かになれるんだという根拠のない自信だけはあった。結果的に、入学から4カ月で高校を中退しました。

なぜ自分はレールから転げ落ちてしまったのか。悶々としながら、建設現場でアルバイトを始めました。やりたいことが見つからない。自分の人生は、この先どうなってしまうのだろう……。
暗い気持ちで1年ほどを過ごしたある日のことです。雨が降っていて、仕事が休みになりました。朝7時頃、家族はまだ寝ていて、静かなリビングで1人、何気なく手元にあった新聞を開きました。すると、1つの小さな記事が目に飛び込んできました。

「ようこそ、あしたへ。」

ある俳優養成所の研究生募集の広告でした。
その瞬間、視界が一気にクリアになった。まるで、生まれてはじめてメガネをかけた瞬間のようにピントが合い、それまでぼやけていたものが、ハッキリと見えました。 自分にもまだ、光り輝く明日がある!

それから数カ月後。17歳の、忘れもしない10月18日に、僕は大きな夢を抱えて東京の地に降り立ったのでした。

朝ドラに出演「やっと親に報告できる!」

俳優養成所の研究生として1年ほどレッスンを受けたのち、さらなる飛躍を目指し、『De☆View(デビュー)』という月刊誌に自己PRを掲載してもらい、スカウトを待っていました。ある日、部屋の郵便受けに厚い封書が届いていた。開けてみると、映画「二十才の微熱」の台本と、助監督からオーディションのお誘いの手紙が入っていました。これが、僕の映画デビュー作となりました。

それから大手の芸能事務所に所属。NHKの朝の連続テレビ小説「ひまわり」のオーディションに挑戦したのは、21歳のときです。合格の知らせを受けた瞬間、「心配をかけ続けた親に、やっと報告ができる!」と思いました。 1年を通して1つの役を演じられる。こんな役者冥利に尽きる仕事はありません。

僕が演じた南田達也は、主演の松嶋菜々子さんの弟役です。複雑な家庭環境の中で悩みながら、少しずつ大人になっていく。達也を演じながら、自分自身も役と一緒に成長していく感覚がありました。
育ての母親役の夏木マリさん、姉役の松嶋菜々子さん、祖母役の藤村志保さんと佐々木すみ江さん、そして犬がいて、まるで本当の家族のようだった。ずっとここにいたい、と思いました。

南田家の愛犬リキとの2ショット


一度台本を読めば自然と台詞が出てきた。でもそれは、自分が演じやすいようにお膳立てされた脚本や演出、支えてくれる共演者たちのおかげなのです。いまならそれがよくわかるのですが、当時の僕は、すべて自分の力だと勘違いしてしまった。自分のことを「実力派俳優」なんて名乗っていました(笑)。

朝ドラに出たからといって、大きな仕事が続くような甘い世界ではありません。何より、その頃の事務所は僕の腐った性根を叩き直すことに力を注いでいました。事務所に呼び出されては説教を受ける毎日。それでも僕は、「何を言っているのだろう……?」と聞く耳を持たなかった。結果、さじを投げられ、事務所から契約解除を言い渡されてしまいました。
そこからは事務所を転々とします。NHKの大河ドラマ「利家とまつ」で伊達政宗役を演じたり、映画で主演に決まったりしても、仕事が途切れるとすぐに「人生終わりだ、事務所を変えなきゃ」と思ってしまう。当時はよく、周囲から「焦るな。何をそんなに生き急いでいるんだ」と言われていました。

こうして暗黒時代に突入していきます。居酒屋で愚痴をこぼし、人の文句を言い、僕のまわりから人が離れていった。気が付けば、僕は1人ぼっちになっていました。

20代後半の頃


このままではダメだとようやく気付いたのは、28歳のときです。ここで、「自分を変えよう」と決意します。自分のダメなところを書き出したら100個以上あった。とにかく人間力を高めるしかないと、1つ1つの現場に一生懸命臨みました。誰かのせいにばかりしていた自分が、やっと人を認め、尊敬できるようになりました。

5年くらいかかりましたが、気が付くと、「遠藤さんと一緒に仕事ができて良かった」と言ってもらえるようになっていた。後輩にも慕われ、石井裕也監督には「こんな謙虚な俳優は見たことがない」と言ってもらえた。
結婚相手と子どもにも恵まれ、東京で家族ができました。

人生の選択。夢か、家族との時間か?

子どもが生まれた直後に起こった東日本大震災。混沌とした東京で幼い子どもを育てることに不安を感じた妻が、僕の実家のある札幌に子どもを連れて移住します。
1年半ほど、家族と離れ離れの生活が続きました。僕は東京で俳優活動を続けていましたが、たびたび妻と子どもと祖父母が楽しそうに過ごしている写真が送られてきます。

「自分の夢のために、この幸せな時間を経験しなくていいのだろうか?」
「役者として大成することが、本当に自分の夢なのか。それよりも、妻と子どもを幸せにするべきではないのか」
そう考えるようになりました。

それでも、そう簡単に決心はできません。
何しろ、22年間という時間を費やしてきましたから。いつかゴールデンタイムのドラマや大河ドラマの主演をやるんだと夢見て、ずっと頑張ってきたんです。辞めた瞬間に、それも全部終わり。諦めたらそこで試合終了です。

暑い夏が終わり、少し涼しくなった10月初旬。それはとても気持ちのいい朝のことでした。
当時、役者だけでは食べていけなかったので、深夜のコンビニでアルバイトをしていました。朝6時、僕は仕事を終え、駅前のコンビニから家に向かって歩いていました。出勤のために、駅に向かって足早に歩く人たちとすれ違います。やがて、家に近づくにつれて、人通りが少なくなっていった。青い空、澄んだ朝の空気の中で、「あ、もう辞めて帰ろう」と思いました。

札幌に帰る決断は大成功

半年ほどかけて東京で挨拶まわりと身辺整理をしました。「あんな役者バカの遠藤が本当に引退するのか」と周囲からは驚かれましたが、反対する人はいませんでした。1つ1つ荷物を詰めて、部屋を片付けていく。出演したドラマや映画の台本だけは、「戦利品」として捨てずにいまでもとってあります。

2013年3月、東京に一礼して、羽田空港から飛行機に乗り込みました。17歳のとき、夢を抱き、喜び勇んで降り立った東京の街並みが小さくなっていきます。1つの物語が終わったのだと、目から静かに涙がこぼれました。
胸の中には大きな「達成感」が残りました。「よくやったな」と自分をほめたい気分でした。

数時間後、降り立った札幌の地は、17歳のときの印象とはまるで違っていました。
「こんなにも、空も大地も広かったんだな」
10代の頃は生きる世界が狭く、北海道の広さ、豊かさに気づいていなかった。東京で過ごした22年間で、自分は大きく成長できたのだと思いました。

仕事は何でもやるつもりでした。札幌のローカルテレビの知り合いに声をかけていただき、ゼロから学びながらADの仕事を始めました。
今は北海道の人や食を紹介するリポーターの仕事をメインとしながら、ディレクターとして番組制作に携わったり、時々再現VTRに出演して演技をしたりすることもあります。リポーターの仕事は、壮大な回り道をしてようやく巡り合えた天職だと感じています。人の役に立てているのが嬉しいですし、何より演じなくていい。役者の仕事はやりがいはあったけれど、魂を削って演じた後に体を壊すことも多かったのです。

札幌に帰ってきて9年。息子はいま中学1年生になりました。成長を見守ることのできた時間は、かけがえのないものでした。
もしあのとき決断していなければ、俳優業をそれなりにやっていたでしょう。続けていればブレイクだってあったかもしれない。

でも、札幌に帰ってきた決断は大成功でした。俳優になろうと上京したこと、20代後半で自分を変えようと決意したこと、俳優を引退したこと、人生でいくつもの決断をしてきましたが、これまでの僕の決断は全勝だったと思っています。

最近は、音楽活動を始めました。North Sea Waysというバンドで作詞・作曲・ボーカルを担当。楽曲をリリースしたので、ライブもできたらいいなと思っています。趣味の釣りは体が動く限り続けたいですし、リポーターとして北海道の魅力を伝え、人と人をつないでいく仕事にも励み続けたい。
48歳、これからの人生、まだまだ決断することがたくさんあります。

(文・尾越まり恵)

遠藤まさし
1974年、札幌生まれ。93年、「二十歳の微熱」の準主役で映画デビュー。NHKの朝の連続テレビ小説「ひまわり」や、大河ドラマ「利家とまつ」、映画「川の底からこんにちは」などに出演。2013年からは活動の拠点を札幌に移し、現在は地方局のディレクター、リポーター、ナレーターとして活動するかたわら、音楽活動にも力を入れる。リーダーを務めるバンドNorth Sea Waysで作詞・作曲・ボーカルを担当。「White snow shooting star」「さよならセイレーン」など、北海道発の音楽を配信リリースしている。
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