英 千安希

シナリオライター・歴女プレゼンター・バーテン・盆女 英 千安希さん

7年務めた会社を辞め、ナレーターになる夢を追いかけている英千安希さん。第3回では、幼なじみや父親、歴女バーテンとして働いているお店のオーナーなど、千安希さんをよく知る人たちにインタビュー。英千安希さんとは、一体どんな人なのか? さまざまな角度から、彼女の素顔を探る。

目の中に入れても痛くない、かわいい娘

 3人兄弟の長女として生まれた千安希さん。父親の敬次さんは、誕生の瞬間をよく覚えていた。

「初めての子でしょう。それは可愛かったですよ。陣痛が始まったとき、私は仕事中だったので、家内は一人でタクシーに乗って病院に行ったんです。初産だったから心配で病院に電話したら、『産まれるのは夜19時くらいでしょう』、と。それで仕事が終わってすぐ駆け付けたんですが、病院に行ったときにはもう産まれていました。思ったよりお産が軽かったようで、16時35分だったかな、予定より早く産まれたんです。
 性別は事前に聞かなかったんですよ。どっちかなー、楽しみだね、なんて家内と話して。はじめて抱っこした時は感無量でしたね」

子どもの頃は人見知りが激しかった


 「名前は私が考えたんですよ。安らかに、健やかに育っていくことを希望する、という願いを込めました」

 小さい頃の千安希さんは、どんな子どもだったのだろうか。

 「いたずらっ子でしたよ。『お前はかわいいから目の中に入れても痛くない、入んないけどね』なんて話していたら、いきなり私の目をつかもうとしたこともありました(笑)」

 やんちゃな一面と同時に、幼稚園に入るまでは、人見知りが激しかったという。

 「今とは正反対ですよ。人が近づいてくると一歩引き下がる。親がいればすぐにその後ろに隠れるような子でした。幼稚園に入って友達ができて、遊び始めてから、少しずつ周囲となじんでいきました」(敬次さん)

千安希さんの夢を温かく応援する父、敬次さん

 そんな、目の中に入れても痛くない娘が、東京に出て芸能の世界に入りたいと言い出したときは、どんな気持ちだったのだろうか。

 「すでに実家を出て、隣町で1人暮らしをしていたんです。電話で相談がある、と言われて、何だろうと思っていたら。芸能の専門学校を受けたら受かった、と言われました。
 普通の親なら、そんなところに行かずに嫁に行って、孫の顔でも見せろよと言うんでしょうが、私は人生って70年、80年しかないじゃないですか。結婚だけにとらわれるのではなく、自分のやりたいことをやるのも1つの選択肢かなと思ったんです。
 ただ、家内は普通に結婚して女としての幸せをつかんでほしいと思っていたので、そこで娘とは意見が食い違いましたね。家内の目があるからあまり大きな声では言えませんでしたが、私はせっかく受かったなら、応援するからやってみれば? と伝えました」
 さまざまな分野で活躍している今の千安希さんの姿を、敬次さんは次のように語る。

 「オリンピックの後に、実はニュースがあるんだとメールが届きました。ん? 彼氏ができて結婚か? と思ったら、盆女としてオリンピックの閉会式で踊ったんだと。それはまたすごい、とビックリしました。
 たまたま閉会式を録画していたので見直して、小さいながらも、あれじゃないか、これじゃないかと、目をこらして見ました。オリンピックのような大きな舞台に出たことは、親としてはちょっと自慢ですね。
 娘が一途に頑張る姿を見ていると、会社員のときのあの子と今のあの子は全然違うなと思います。大変なことも多く、疲れることもあるでしょうが、自分の好きなことだから頑張れるのでしょう」

盆踊りユニット「盆女」の活動。ピンクリボンの啓蒙として、アンティークの長襦袢(ながじゅばん)を着て踊った。写真右から2番目が千安希さん

 当初、芸能活動に反対だった母も、今は少し心境が変化しているようだ。

 「今はもう反対はしていないと思いますよ。何度か小さな劇場の舞台に出たときは、一緒に観に行きましたから。心の中ではなかなか許し切れていないだろうけど、せっかく娘が出ているなら観たい、という思いはあるんです」

男に媚びないカッコいい女!

 「今のあっきーちゃんは昔からは想像できない」

 そう語ってくれたのは、2歳上の地元の幼なじみのまりさん。2人の実家は「チャリで10分くらい」の距離だったとのこと。

「中学校まで一緒でしたが、アッキーちゃんの印象は、寡黙。本が好きで、図書室でよく本を読んでいる子でした」

幼なじみのまりさん(右)と大人になって再会

 別々の高校に進んだ千安希さんとまりさんが再会したのは、それから10年以上経ってから。たまたま地元であったお葬式のためにまりさんが実家に帰省し、千安希さんのお父さんと会って連絡先を聞いたのがきっかけだった。

 10年ぶりに連絡を取り合い、再会した千安希さんの印象は?

 「近況を聞いてすごくビックリしたんです。人前に出るお仕事をしているなんて意外だったし、すごい美人になって明るくなってた!
 昔からあっきーちゃんは男の人に媚びてなくて、強い女というイメージです。アッキーちゃんは努力家なんだよ、こんなにしっかりしてるんだよ、って彼女の魅力をいろんな人に伝えたい! と思っちゃいます」(まりさん)

優れた構成力で歴史プレゼン大会準優勝

 毎週水曜日に歴史好きが集まる「レキシズルバー」のオーナー、渡部麗(わたなべりょう)さんと千安希さんが出会ったのは、2020年1月。千安希さんが1人でレキシズルバーに訪れたのがきっかけだそう。

 「お、かわいい子が来た、と思ったね」と渡部さん。

 「わたしポンコツなんです、ってアッキー(千安希さん)が言ってて、ポンコツ大歓迎だよ、みたいな話をして。あぁ、自分でポンコツって言える子なんだな、と思いました。ポンコツって自分のことポンコツって認めなかったりするから」(渡部さん)

御茶ノ水のレキシズルバーのオーナー、渡部麗さん

 ちょうど新しいバーテンを探していたため、その後すぐにバーテンに誘った渡部さん。

 「いまバーテン探してるんだけど、どう?って。直感だね。高杉晋作みたいでいいでしょ? 電光石火(笑)」(渡部さん)

 それからすぐに千安希さんはバーテンとして働き始めた。その働きぶりは、本当に「ポンコツ」だったのか、それとも……?

 「グラスとかを落っことしてキャー! と、かばりーん! とかはやるけど、一生懸命働いてますよ」

東京・御茶ノ水の「レキシズルバー」でバーテンとして働く

 レキシズルバーでは毎週、お客さんが15分間のプレゼンをする「数寄語り」があるほか、年末には「れきしことばパフォーマンス」と題し、プレゼンを競い、一番面白かったプレゼンターを客の投票で決めるオリジナルイベントもある。
 
 2020年12月のれきしことばパフォーマンスで、千安希さんは初挑戦ながら見事準優勝に輝いた。1回戦は太平洋戦争で活躍した陸軍大佐・中川州男(くにお)氏について、決勝はお寿司の歴史をプレゼン。

 「あれはすごかったね。無欲の勝利。最初にバーで15分間の江戸吉原に関する数寄語りをしたときに、野心があるなと感じて、れきしことばも出たいんじゃないかと思ったんです。シナリオの仕事をしているからだろうね。構成が上手なんですよ。持ち時間は10分と決まっているので、どういう流れで何を伝えるかがすごく大事」(渡部さん)

れきしことばパフォーマンスの決勝戦。お寿司の歴史についてプレゼン

 レキシズルバーをきっかけに、千安希さんに「歴女プレゼンター」という肩書きが加わり、バー以外でも歴史のプレゼンをする機会が増えている。またYouTubeチャンネル「あっきーの歴史こばなし」を開設し、自身でナレーションをしながら歴史プレゼンをする番組を始めるなど、新しい道が開けているところだ。


プロフィール
英 千安希(はなぶさ・ちあき)
シナリオライター・歴女プレゼンター・バーテン・盆女

千葉県長柄町生まれ。地元の高校を卒業後、会社員として働く。25歳のときにナレーターを目指し上京。現在は声優事務所に所属し、ボイスドラマのシナリオライター、盆女、歴女プレゼンター、バーテンなど幅広く活動中。
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