中山博登

浪人時代に出会った友人の影響で「大学は東京に行く!」と決めたことが、起業、そしてその後の新サービスの立ち上げ、さらに東京証券取引所マザーズ(現グロース)上場へと導いてくれたと思っています。

「銀行員と公務員になったら絶交やからな」と言われるほど、周囲には安定というよりも上昇志向が強い個人事業主や経営者が多い環境で私は育ちました。何となく自分も将来そうなるんだろうなと感じてはいたものの、小学校から始めたサッカーにのめりこんでいた私はその後もサッカーに忙しく、勉強には身が入らない毎日でした。サッカーの強豪校に進学したため、朝6時から朝練で1500mを全力疾走。授業中は疲れ果てて寝ていました。少々やんちゃな高校に通っていたこともあり、授業態度が良好とは言い難い状況ではありましたが、188㎝の高身長で良くも悪くも目立っていた私は、なぜか生徒会長に推薦されて当選。生徒会長としても奮闘しました。サッカーに生徒会に忙しく、やはり受験勉強は間に合わず。母親の強い意向で大学進学を目指すことになったときには、浪人生として再挑戦しようと決めていました。

高校卒業後、地元・京都を離れて大阪府吹田市の代々木ゼミナールへ。寮に入って本腰を入れて勉強を始め、公私ともに充実した生活を送っていました。そんな9月、福岡の進学校から来ていた3浪中の予備校生と仲良くなる機会がありました。気が合う友人でしたが受験に関してはストイック。「早慶(早稲田・慶応)以外は許されない。東大に行かなければ!」という考えの持ち主でした。彼の友人たちの多くは東大生で、卒業後は官僚になって国を動かすといった壮大な話を日頃していることを知り、自分の知らない世界を垣間見ました。関西の有名私立大学と言われる関関同立への合格を目指していましたが、彼の話を聞いているうちに、「自分も日本の中心である東京に行きたい!」と考えるようになりました。

両親に相談すると「いいぞ、一度日本の都を見てこい!」と大賛成。東京の中心に行く! と決めて、地理的にも東京のど真ん中である、お茶の水にキャンパスを構える日本大学法学部に進学しました。その後は学生時代から飛び込み営業のアルバイトでビジネスの基礎を学んだおかげで、26歳までメディア関連の企画開発・営業職で結果を出し、やりきったという手ごたえを経て、27歳でリーガルメディア事業を展開するアシロを起業するに至りました。

手元の貯金10万円からの起業や事業消失の危機など、さまざまな困難がありましたが、何とか会社を形にして、グロース上場までこぎつけることができました。その最初の一歩は、東京にある大学に進学することを決めたことにあるといまでも思っています。東京はマーケットも大きく成功確率が高い。チャレンジしたいと考える人にとって多くの出会いやチャンスが眠っている街だと思います。社員にもいつも「毎日0.1%ずつ自分を変化させるように」と言っています。まずはそれを宣言するだけでもいい。過度に失敗を恐れることも、変化を求めることもありません。0.1%の変化は1年後に36.5%もの変化になっています。お金持ちだったわけでも、頭がずば抜けて良かったわけでも、まじめで品行方正だったわけでもない自分でも、こうして会社を起こして上場できた。浪人していたあのとき東京行きを決めたことは、まさしく私の人生における重要な決断だったと思っています。


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