シナリオライター・歴女プレゼンター・バーテン・盆女 英 千安希さん

ある日ふと、強く湧き上がってきた「ナレーターになりたい!」という思い。しかし、そのとき、英千安希さんは安定した正社員の立場だった。「芸能界なんてとんでもない、早く孫の顔を見せてくれ」と親は猛反対。それでも、彼女はナレーターの道に進むことを決断。夢に向かって突き進む姿を追った。

メインの仕事はシナリオライター

 英 千安希さん。彼女の肩書を説明するのは、とても難しい。日によって、その顔を変えるから。あるときは、ボイスドラマのシナリオライター、あるときは、盆踊りユニット「盆女」のメンバーとして、東京2020オリンピックの閉会式で踊った華々しい実績も。また、あるときは歴女プレゼンターとして、歴史好きの人たちの前で江戸時代の花魁(おいらん)について熱く語る。そして、週に1回、都内の歴史好きが集まるバー「レキシズルバーでバーテンも務める。一体、どんな女性なのだろうか。

 「活動は本当にいろいろあるのですが、今のお仕事のメインは、シナリオライターです。声優の事務所に所属していて、ナレーターを目指してレッスンをしながら、シナリオのお仕事をいただいています」

 シナリオは歴史ものから恋愛ものまで幅広い。千安希さんの脚本に声優が声を入れ、ボイスドラマとしてインターネットで販売されている。

 「こういう人とこういう人が出会って恋に落ちる、といった大まかな筋書きはあらかじめ決まっているのですが、その設定をもとに細かくシナリオを起こしていきます。私自身は、ハッピーエンドよりはバッドエンドの方が好きですね。切ない感じで終わるほうが美談になるというか、個人的に感動するんです。シナリオは書き始めると止まらなくて、16時間もぶっ通しで書き続けることもあります」

 ハッピーエンドかバッドエンドかは、あらかじめ決められていない。事前にプロットを書かないのが千安希さん流。

 「私の書き方は、時系列で書いていくのではなく、部分部分で書いて、それをジグソーパズルのようにつなげていきます。だから、事前にプロットを決めても、流れが大きく変わってしまうんです。シナリオを書き始めると、不思議なんですが、自分の中でアニメーションが浮かび上がってきます。それに合った音楽を見つけて、この物語の主題歌として何百回も聞いて、イメージを膨らませながら書いていきます」

英千安希

さまざまな顔を持つ千安希さん。もともとは千葉県の製造業で正社員として働いていた



 千安希さんのシナリオの書き方は、ナレーター育成の専門学校で舞台の脚本を教わった先生の影響が大きいという。

 「その先生に、『シナリオは登場人物と旅をするものだ』と言われたんですよね。私はその先生の言葉がとても印象的だったので、今はこのような書き方をしています。シナリオの仕事は楽しいので、もっと経験を積みながら、いろんな書き方にも挑戦していきたいと思っています」

荒んだ生活から一転、ときめく人生へ

 千安希さんが今のような芸能の道に進んだのは、25歳のとき。きっかけは、1冊の本だった。

 「高校を卒業してすぐ、地元の製造業に内定をもらい、働き始めました。7年ほど勤め、正社員として安定した生活をしていたんです。ただ、25歳の頃、仕事がすごく忙しくて、家に帰ってただ寝るだけの生活になりました。部屋の中はすさまじく荒れて、郵便物も宅配便の箱も、そのまま置きっぱなし。服も干しっぱなし。そんな荒れていた時期に、たまたま近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』を読んだんです」

 部屋にあるものを手に取り、ときめくか、ときめかないかを判断。ときめくものだけに囲まれて暮らすと、人生そのものがハッピーになる、と説くこの本を読み、「部屋を片付けよう!」と千安希さんは決意した。

 「使っていないもの、着ていない服を全部捨てたら、大きなゴミ袋7~8袋分くらいになりました。片付けが終わり、スッキリした部屋に、はぁぁぁ、って座った瞬間に、なぜか突然、『ナレーターになりたい!』と思ったんです」

英千安希

たまたま手に取った1冊の本が、運命を変えた

 それまでまったく考えたこともなかった思いに、千安希さん自身も驚いたという。

 「それまでは声優になりたいと思ったことは一度もなかったし、芸能界に憧れたこともありませんでした。ただ、昔から旅番組や歴史番組は好きでよく見ていたんです。そのナレーションはずっと印象に残っていて、潜在的に憧れを持っていたのかもしれません。部屋をスッキリ片付けたことで、本当に自分がやりたいと思っていたことが見えてきたのかな、と思っています」

 この瞬間から、千安希さんの人生は大きく変わった。

声優の自己PRって何をすればいいの?

 ナレーターになるにはどうすればいいのか? まずはナレーターを抱える事務所をひたすら検索した。試験を受けることになったものの、当然、芸能事務所のオーディションなんてこれまで受けたことがない。

 「写真の撮り方も分からないし、自己PRの仕方も分からない。一般企業の面接とは全然違います。分からなすぎて、オーディションの自己PRではボカロの『夢と葉桜』を歌って撃沈しました。今だから笑って話せますが、苦い思い出です」

 すぐに、甘い道ではないと痛感した。結局、2社受けた事務所はどちらも落ちてしまい、働きながら夜間も通えるナレーター育成の専門学校に入学した。

 「当時は地元の千葉で働いていたので、まずはここを脱出しなきゃ! と思って、7年働いた会社を辞めて、東京で残業のない会社を探して転職することにしました」

突然の娘の宣告に母親は失神

 千安希さんが夢に向かうには、大きなカベがあった。それは、両親の賛成を得ること。専門学校の合格を勝ちとった時点ではじめて、千安希さんは両親に報告した。

 「特に母親が心配性なので、会社を辞めてナレーターを目指すと言ったら、倒れられてしまいました。目の前でパタって倒れて、父が寝室に運んで行ったのを記憶しています」

 母親にとっては、失神するほどの衝撃だったのだ。

 「高校時代、毎日手作りのお弁当を作ってくれました。しかも、冷凍食品を使わない。そんな母にとっての女性の幸せは、結婚して子どもを産むことだったんです。正社員の安定を捨てるな、芸能の道なんかに進まず、早く結婚しろと言われました。就職して7年間、安定した生活をしていて、このままあとは結婚するだけだと思っていたのに……って」

 それでも、千安希さんは夢を諦めなかった。

 「親のためにも結婚して孫の顔を見せてあげたいという思いもありましたが、それって結局親のためで、自分の本心じゃない。自分の人生なので、自分のやりたいことをやろうと思いました。父は人生一度きりなので、やりたいことをやればいい、と言ってくれたんです。応援してくれる人がいたから、頑張れました」

 昼は会社で働きながら、夜、東京のナレーション専門学校に通う生活を半年間続けた後、仕事を辞めて芸能事務所が運営する全日制の養成学校へ。2年間、演技や脚本、ダンス、映像などを学び、卒業後から今までは声優の芸能事務所に所属し幅広く活動している。

 「今、これまでまったく知らなかった世界にいます。周囲は個性の強い人たちばかり。その中で、常に自分の売りは何かと問われる。こんな世界もあるんだな、と。でも、今の生活と、今の人間関係が私はすごく好きです」

 会社員だった頃からは考えられなかった今を、千安希さんは懸命に生きている。


プロフィール
英 千安希(はなぶさ・ちあき)
シナリオライター・歴女プレゼンター・バーテン・盆女

千葉県長柄町生まれ。地元の高校を卒業後、会社員として働く。25歳のときにナレーターを目指し上京。現在は声優事務所に所属し、ボイスドラマのシナリオライター、盆女、歴女プレゼンター、バーテンなど幅広く活動中。
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