2009年、高校の新卒採用開始を機に、給与体系を歩合給から月給制度に変えることを決めました。
幼い頃は「おとなしい子」と言われていましたが、将来は「冒険家になりたい」と思うなど、野心的でアクティブな面も持っていた少年時代。小学校高学年になるといじめを受けるようになったことから、矢沢永吉さんなどのロックスターや、いまでいう『東京リベンジャーズ』のようなヤンキー番長が出てくる漫画に傾倒。いつかそんなカッコいい存在になりたい!と思って育ちました。高校時代に付き合った彼女と結婚しようと考えて、卒業後は就職を選択(結局高校在学中に振られて別れました)。地元・三重県でHondaの下請け工場勤務から社会人人生を始めました。Honda関連の会社で合計4年ほど勤務したあとに配置転換があり、それを左遷だと感じた自分は「そんな評価しかしてもらえなら辞める!」と退職を決意し、宅配便の配達をするフリーターになりました。ちょうど結婚して子どもが生まれたタイミングでした(汗)。
宅配の仕事は土日も長期休暇もない過酷なものでしたが、自分の裁量次第で働き方を決められるし、仕事さえしていれば子どもをクルマに乗せて荷を運ぶことだってできる。25歳でアルバイトから始めた仕事でしたが、お中元やお歳暮などの時期になると荷も多くさばききれなくなってきたことから個人事業主として独立。繁忙期には人を雇って荷運びするようになりました。忙しいときは月に100万円も稼げましたが、先物取引に手を出して1年で150万円の損失を出してしまったこともあり、1件あたりの配達料200円という物流業界の闇を感じるようになりました。
1998年、海外引越の仕事が増えたことを機にカワキタエクスプレスとして法人化し、物流の効率化をパソコン上でできる仕組みがあることを知って2001年に運送会社13社を集めてロジネット協同組合を立ち上げました。同時に、真剣に向き合えば向き合うほど、物流業界には夢がない、と感じるように。トラックドライバーといえばガラが悪い、マナーが悪いというイメージがあり、労働環境は過酷で排気ガスをまき散らすので環境にも良くありません。「いまの真逆になるようにすれば、業界は良くなるんじゃないか」。そう考えました。当時プライベートでもいろいろとあり、モチベーションが大幅ダウン。年間7000万円の売り上げから一気に3000万円の赤字に転落してうつ状態に陥っていましたが、心理学を勉強するなど奮起し、売り上げも右肩上がりにV字回復。5年後には本社社屋も完成し、2009年には高卒の新卒採用を開始しました。
高校に貼り出された求人情報を見る際、「歩合給、売り上げの〇%を支給」と書かれていてもよくわかりません。未経験からスタートすると過酷な割に思ったより稼げず長続きしませんし、時間外労働や休日返上での過酷な勤務が続けば若いうちは稼げても年齢とともに厳しくもなります。そこで給与体系を見直し、月給制を導入。半年間は月給と歩合制を並走させ、計算して手取りが多くなる方を支給する仕組みにしましたが、意外と遜色ないことがわかりました。マナーやあいさつといった人間性も評価対象にするなど、人事評価制度を見直しましたが、2011年には会社のナンバー2、ナンバー3、そしてベテランドライバー8名が退職するなど、苦しい時期もありました。
でも、少しずつ周囲の理解も得られるようになり、いい循環が回りだすと離職率も65%から5%に激減し(2024年12月時点)、最高勤続年数27年のベテラン社員も出てきました。マナーも良くあいさつもしっかりしてくれると得意先からの評価も上々。2019年からは男性育休制度も導入し、育休取得率は100%に。シャワールームを完備したり、女性社員への「コスメ手当」を支給したりするなど、プライベートを充実させながら働ける環境づくりにも尽力しています。
時間はかかりましたし、当時は社員も「何を言っているんだ?」という反応でしたが、2024年に物流問題が話題となるなど、やっと時代が追いついてきてやりやすくなったと感じます。これからも「夢のある職場」をつくるべく、開拓者精神を持ち続けて挑戦していきたいと思います。
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