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大学2年生のとき、近畿大学を中退してプロの力士になることを決めました。

静岡県焼津市で生まれ育った自分がはじめて相撲をとったのは、小学校2年生のときに出場した地域の相撲大会です。そこで自分は準優勝。1位になれなかったのが悔しかったのか、母がその気になり、自分を地域の相撲クラブに通わせ始めました。当時の自分は、別に相撲は好きではなかった。「お尻を出すの恥ずかしいな……」と思いながら、言われるまま、ただ通っていました。

中学生になり、思春期に突入すると「なんか相撲ってださいな」と思い始め、1年生の夏休みに相撲から離れます。他の部活に入るわけでもなく、友達と海に行ったりカラオケに行ったりするのが楽しかった。
自分が通っていた中学は卒業後に就職する人もいて、自分も高校に行かず働いてもいいかなぁと思っていました。でも、たまたまテレビで高校の文化祭の様子が流れてきたのを見て、思ってしまったんです。
「うわ、文化祭めちゃくちゃ楽しそうだな! 高校行きたい!」
しかし、まともに勉強してこなかった自分に入れる高校なんてありません。そんなときに、沼津市にある飛龍高校の相撲部の先生からスポーツ推薦の話をいただいたのです。それをきっかけに、また相撲の世界に戻りました。

大学を卒業するか、辞めてプロ入りするか

飛龍高校は相撲の強豪校ではありましたが、部活はアットホームな雰囲気で、楽しい高校生活を送ることができました。
卒業後の進路については、大学に進学するか、相撲でプロの道に進むか、一般企業に就職するか、3つの選択肢がありました。考えた結果、自分は多くのプロ力士を輩出している相撲部のある大阪の近畿大学に進学することを決めました。高校卒業後からプロを目指して相撲部屋に入門する人もいます。でも、当時の自分はまだ、プロになって幕内まで上がっていけるのか、自信がありませんでした。とりあえずは大学で自分の力を試したい、と考えたのです。

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高校卒業後は、近畿大学の相撲部へ


大学の相撲部はプロ並みに厳しく、1年生のときは朝早く起きて40人分ほどのご飯を作り、綿棒で階段の隙間をふくなどひたすら掃除をします。付け人制度もあり、とにかく忙しかった。

ちなみに近大相撲部の先輩には、石橋さん(朝乃山関)がいました。石橋さんに頼まれてよくコンビニにカフェオレを買いに行っていましたが、「おまえの分も買っていいぞ」と言ってくれる、優しい先輩でした(笑)。

2年生になり後輩が入ってくると、少しラクになりました。何も考えられなかった生活から少し余裕ができて、将来のことを真剣に考え始めました。このまま卒業までの3年間大学に通って、たとえ何かのタイトルを獲得したとしても、プロ入りしたら幕下15枚目からのスタートです。
「いますぐプロになれば、3年間でそこまでいけるのではないか。プロに入ったほうがいいな」
そう考えて、大学2年の6月に大学を辞めてプロの力士になることを決めました。

20歳の誕生日に伊勢ケ濱親方から熱烈スカウト

大阪から一度地元の焼津に戻り、入門する部屋の検討を始めました。でも、地元の友達と遊んでいるうちに楽しくなってしまったんです(笑)。
「やっぱり地元は楽しいな。力士にならず、ここで働いてもいいのかな……?」
そんな考えが頭をよぎることもありました。

そんなとき、伊勢ケ濱親方(第63代横綱・旭富士)が静岡にやって来ました。忘れもしない、あれは自分の20歳の誕生日でした。その日は夜に地元の友達がお祝いをしてくれることになっていました。
親方に「ちょっと話したい」と言われ、「時間がないんですけど、少しでも大丈夫ですか?」と聞くと、「少しでいいから」と。しかし結果的に、話は2時間以上に及びました。

母親や高校時代の恩師などが同席する中で、親方は「伊勢ケ濱部屋に入門しないか」と誘ってくださいました。でも、自分としては厳しいイメージがあったので、「伊勢ケ濱部屋はないな」と思っていたんです。

「ここに入らない理由は何だ?」と親方に聞かれ、1つ1つ挙げていくのですが、すべて親方に論破されてしまう。「確かにそうだな……」という気持ちと、「いや、自分の人生がかかっているのだから、やっぱり伊勢ケ濱部屋はない」という思いが交錯していました。
「今日俺は、いいと言うまで帰らないから」と親方は言う。携帯には友達から大量の着信が入り続けていました。

「わかりました。伊勢ケ濱部屋に入ります」

ついに、そう返事をしてしまいました。もし親方が来たのが自分の誕生日でなければ、伊勢ケ濱部屋には入っていなかったかもしれません。

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静岡までスカウトに来た伊勢ケ濱親方の熱意により伊勢ケ濱部屋への入門を決めた


十両に上がれずやめようと思ったことも……

2016年9月に上京し、プロの道を歩み始めました。近畿大学の相撲部がかなり厳しかったおかげで、プロの世界に入っても大きな戸惑いはありませんでした。ただ、稽古はやはり大学よりも厳しかった。

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伊勢ケ濱部屋の朝稽古の様子


部屋ごとに決まりは違いますが、伊勢ケ濱部屋は稽古さえしっかりしていれば、私生活はかなり自由です。夜飲みに行ったりもできますし、もちろん恋愛も結婚も自由です。

初土俵は、2016年の9月場所。まだお客様の入らない朝早くに、はじめて両国国技館の土俵で相撲を取りました。翌17年の名古屋場所から髷を結えるようになったときは嬉しかったですね。「おかげさまで髷を結うことができました」と親方や先輩たちに挨拶をすると、デコピンをされたりご祝儀をもらったりしました。

入門したときから、自分は2年半で十両に上がる、と決めていました。それでダメだったら相撲はやめよう、と。
ところが、2年半を過ぎても十両に上がれない。地元の同級生たちは結婚したり、仕事が充実したりしてきた頃です。2019年の九州場所の前に親方に言いました。

「十両に上がれる気がしません。地元に帰って普通の生活をするのも楽しそうだなと思うので、相撲をやめます」
すると、親方は「やめたい理由をノートに全部書き出して持ってこい」と言いました。
面倒くさいな……と思っているうちに九州場所が始まりました。そこで思いがけず5連勝します。「このまま全勝できるか?」と思ったものの、6戦目で負けてしまった。それでも6勝1敗という好成績を残すことができました。もう少し頑張ってみようと思ったところで、翌2020年の初場所に5勝2敗して十両昇進が決まりました。

体重による階級分けがないから面白い

十両になると給料も上がり、付け人が付くようになります。後輩の指導などもするようになりました。
そして、2021年の大阪場所で新入幕を果たします。印象に残っているのが、そのとき碧山関に勝ったことです。すごく大きくて強い人だと思っていたので、嬉しかったですね。

最近はよくお客さんが自分の名前のタオルを広げてくださっているのを目にするようになりました。土俵で「翠富士―!」という声援が聞こえてくるとやっぱり嬉しいです。でも、自分の名前のタオルを見つけると、恥ずかしいのでつい目をそらしてしまいます(笑)。

以前は、勝った日と同じ日のご飯を食べ続けるなどのゲン担ぎもしていましたが、最近は同じものを食べても飽きるし、「ゲンを担いでも勝つときは勝つし、負けるときは負ける」と思って、あまりゲン担ぎはしなくなりました。

憧れの力士は、安治川親方(元関脇・安美錦)です。子どもの頃から安美錦関の相撲を見ていて「カッコいいな」と思っていました。付け人をしていたこともあり、今でもかわいがってもらっています。仲がいいのは同じ近畿大学で同期の錦富士関。そして、相手はそう思っていないでしょうが、ライバルは同級生の貴景勝関です。彼は強いですね。プロ入りしてからは一度も勝てていないので、勝ちたいです。

相撲の魅力は、多くの格闘技と違って体重による区分けがないことです。自分のような体格の小さい力士でも、体の大きな力士と闘うことができます。それが楽しさであり魅力だと思います。子どもたちにもまずは一度相撲を見てほしいですね。そうすれば、相撲の面白さが伝わると思います。

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目標は三役(大関・関脇・小結)昇進


振り返ってみて、プロの力士になった決断は大正解だったと思います。場所中は毎日、「すっごい悔しい!」とか、「すっごい嬉しい!」という感情を味わうことができます。大人になってそこまで大きな悔しさや嬉しさを味わえることはそんなにはありませんから、それを毎日味わえるのは嬉しいです。毎日、「生きているな」と感じます。

(文/尾越まり恵、写真/齋藤海月)

翠富士一成(みどりふじ・かずなり)
力士/伊勢ケ濱部屋
1996年8月生まれ。静岡県焼津市出身。7歳から相撲を始める。大学2年で近畿大学を中退し、伊勢ケ濱部屋に入門。2016年9月場所で初土俵。2020年3月に新十両。2021年1月場所に新入幕。得意技は押し、肩透かし。
伊勢ケ濱部屋 ホームページ

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