関口和枝さん

合同会社にこ 代表社員 関口和枝さん

CBD(カンナビジオール)を原料にしたコスメブランド「NICO CBD(ニコ シービーディー)」を立ち上げた関口和枝さん。実は、大人になるまでの家庭環境は、壮絶なものだった。パートナーを次々に変える母親のもとで翻弄されながらも、和枝さんは力強く自分の人生を切り開いてきた。今回は幼少期から大人になるまでの和枝さんを深掘りする。

幼少期の記憶は札束と香水と寂しい誕生日

 和枝さんの記憶に残る母親の姿は、文京区湯島の高級クラブのママだ。

 「バブルの時代で、ものすごく売り上げが良かったんでしょうね。お店で働く従業員のお給料日だと思うけど、アタッシュケースをカチャッと開けて札束が詰まっているのを、物心ついたときから普通に見ていました。当時は信用金庫さんが売り上げの集金に自宅まで来てくれていました。母が持つ高級ブランドのセカンドバッグには、常に300万円以上のお札が入っていたのではないかと思います」

 お店を開ければ儲かったこの時代、母は年末年始もお店を開け続けた。幼少期の和枝さんの記憶に残っているのは、香水の匂いをまとった母と、寂しい誕生日。

 「幼稚園の年長くらいの頃かな。お店のお姉さんたちが、何人も入れ替わり立ち替わり和枝ちゃんおめでとう、ってケーキを持って来てくれるの。チョコレートケーキ、チーズケーキ……ホールのケーキをそんなに食べられないよっていうくらいたくさん。でもロウソクをフーって消したら、じゃあね、とみんなお店に行ってしまう。部屋が急に静かになった瞬間が、たまらなく寂しかった」

 寂しくて寂しくて、自転車で母親の後を追いかけて行った結果迷子になり警察に保護されたこともある。そのうち母が用意してくれた夜ご飯も、のどを通らなくなった。
 「ママが気にかけてくれるかなと思って、残したハンバーグやカレーをベランダから落としていました。マンションの10階で他にも部屋があるのに、なぜうちだとバレたのか、不思議(笑)。でも、ママは怒らなかった。そのときはじめて気持ちを吐き出すように大泣きしたのを覚えています」

 和枝さんには父親の記憶はない。

 「母はものすごいヤキモチ焼きだったので、私が子どもの頃は、しょっちゅう交際相手の女性関係のことでケンカをしている姿を見ていました。ただ、とにかくお嬢様としてお金には不自由せずに育てられ、洋服はすべてイタリアやフランスのブランド物、テレビも私専用のものが部屋にあったし、ピアノがほしいと言ったときはオーダーで発注したらしく、届いたのは1年後でした。」

 生活が一変したのは、9歳のとき。母がその時付き合っていた男性との間に子どもを妊娠し、弟が生まれたのだ。

 「古い価値観の親なので、長男だ、長男が生まれたぞ! と、ワッショイワッショイ長男祭りが始まりました。女の私は引っ込んでいろ、と。だから、私は弟にジェラシーですよ」

 それでも、乳児の弟を残して母は夜になるとお店に行ってしまう。夜中のミルク、おむつ替えは9歳の和枝さんの仕事だった。「ヤングケアラー」などという言葉がまだなかった時代の話だ。

周囲の善悪の判断に従う必要はない!

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