折原さんショート

25年前、18歳から生活の拠点としてきた東京を離れ、神奈川県逗子市に移住しました。21歳で漫画家・小説家としてデビュー。仕事に明け暮れた20代を経て、33歳のときの決断でした。

締め切りに追われる毎日
漫画と小説を書き続けた20代

生まれ育ちは、茨城県の南部に位置する石岡市。JR常磐線で東京まで1時間程度、人口7万2000人程度の中核都市です。
幼稚園の頃から絵が好きで、1人で黙々と絵を描いている、おとなしい子どもでした。ストーリーをつけたり、コマを割って漫画を描いたりするようになったのは、小学校5年生くらいから。当時からSFや恋愛漫画を描いていました。
その頃から漠然と、「漫画家になりたい」という思いはありましたが、「絶対になるんだ!」といった強いものではなかった。他にもやりたいことがあって、夢もその時々で変わっていく中で、漫画だけはずっと描いていました。

高校卒業時の夢は、映画監督。映画の世界を夢見て18歳で上京したものの、映画制作の仕事をどうやって見つければいいのかわからない。エキストラのアルバイトなどをしながら、同人誌で漫画を描いているうちに、複数の出版社からお声がけをいただき、あっという間に漫画家としてのデビューが決まりました。
1985年、デビュー作となったのは、『ASUKA』(現KADOKAWA)に発表した『ベストガールになりたいの』。その後、立て続けに講談社、実業之日本社からも漫画を発表。同時に小説も書くようになり、どんどん多忙を極めていきます。
漫画では、『るり色プリンセス』(実業之日本社)、『瞳のラビリンス』(講談社)、小説では『2100年の人魚姫』『時の輝き』と、次々と作品を発表し、ヒット作にも恵まれました。

当時は、漫画と小説の両方を書いている作家は少なかった。漫画連載の締め切りの合間に小説を書き、睡眠時間は毎日3~4時間。20代は本当に、仕事しかしていないような状況でした。今振り返っても、「よくやっていたな」と思います。作品を発表し反響をいただくのがうれしく、仕事はできる限りすべて引き受けていました。締め切りに追われる苦しみを除けば、仕事は楽しかった。

取材で訪れた小笠原で決断
「もう東京じゃない!」

どれだけ漫画や小説を書くことが好きでも、そんな生活を10年も続けていると、擦り減ってしまいます。少しずつ、自分の中にあるものが枯渇していく感覚がありました。そんなとき、小笠原を舞台にした小説を書くことになり、何度か訪れる機会がありました。島の自然に触れたときに、ものすごく気持ちよかったんですよね。そのときに「もう東京じゃない」「自然の中で暮らしたい!」と思いました。

東京では10年以上、中目黒を拠点に生活していました。好きなエリアではありましたが、家賃は高い。「賃貸でこの金額をずっと払い続けるのはもったいないな」「自分で家を持つなら、海の近くがいいな」と考えたのも、決断の後押しとなりました。

海が見える場所を候補に、鎌倉や湘南など、いくつかの土地を探しました。そんなときにたまたま知り合いに紹介され、訪れたのが逗子でした。見た瞬間に、「ここだ!」と即決。海が近く、とにかく眺めがいい。周辺の環境の良さも抜群でした。

家の設計では、仕事部屋と浴室の眺めにこだわったほか、仕事部屋は、慣れている東京のマンションと同じ配置、広さにしました。
そして、幼い頃から抱いてきた、犬を飼う夢も、ここで叶えることができた。ゴールデンレトリバーのリキ丸をはじめて家に迎え入れた日は、うれしくて涙が出ました。

折原さん1

自然光がたくさん差し込む、開放感あふれる仕事部屋。晴れた日は、海の向こうに富士山が見える


東京を離れる決断してから行動に起こすまでの時間は数カ月。周囲には驚かれましたが、走り抜けた20代を経て、生活環境を変えるちょうどよいタイミングだったのだと思います。

創作の原点は「ときめき」
50代になっても恋愛を書き続ける

逗子は東京に住んでいる人の別荘地でもあるので、東京から来る人に対して寛容な雰囲気があります。ただ、地域住民の皆さんは年配の方が多く、当時は私が一番若かった。30代前半の女性が1人で家建てて、昼間に住宅街をブラブラ歩いていたりする。明らかに怪しかったと思います。「どこぞの愛人が来た」などと思われているのではないかと思い、わりと早いタイミングで「漫画家です」とカミングアウトしました。
「何もわからない娘さんが来たから、いろいろ教えてあげましょう」といったノリで、皆さんにはとても親切にしていただきました。

東京で暮らしているときは、物語でも都会を舞台にすることが多かったのですが、逗子に移住してからは、海を舞台にすることが多くなりました。やはり自分の環境を投影した作品が多くなるのだなと実感しています。
犬を飼い始めたことで、それまでの夜型生活から一転、朝型生活になりました。朝日とともに目覚める生活なので、夏場は4時頃に起きることもあります。

33歳で「セミリタイアする!」と宣言しての移住でしたが、仕事は好きなので、変わらず書き続けています。それでも、20代のときに比べるとかなりペースを落とし、自分の時間を確保できるようになりました。
新しいことを吸収したい、日本的なものをもっと勉強したい、という欲求が強くなり、日舞、居合い、お茶、お琴、お茶、書道など、習い事にもたくさん挑戦しました。それがまた、作品の中に生かされています。

漫画も小説も好きで、人生の多くを費やしてきましたが、一度だけ書けなくなってしまったことがありました。2017年に発表した長編小説『幸福のパズル』(講談社)を書いていたときのことです。恋愛小説ではあるのですが、主人公は大人で、登場人物が多く、ストーリーも入り組んだものでした。どんどん複雑になってしまって、そのときにはじめて、スランプを経験しました。
数カ月たっても1行も書けない……。
「これは修業だ。書けないときは、インプットだけでもしておこう」と割り切って、基本に立ち返り、文章の勉強をしたりしているうちに、また少しずつ書けるようになっていきました。結果的に、書き上げるまでに3年ほどかかりましたね。でもこの作品を書き上げたことで、その後の執筆活動がすごく楽になりました。

最新作は『きみと100年分の恋をしよう』(講談社)。50代になって、なぜいまだに10代が主人公の恋愛漫画を描いているんだろう…‥と思ったりもしますが、中学時代から変わらず、私の創作の原点は「ときめき」です。10代・20代の頃と、感覚的にはあまり変わっていません。

地域の人に恵まれ
逗子での生活を謳歌

移住して20年、もう東京に戻ることは考えられません。地域の理事会や自治会のイベント委員などにも参加しています。ご近所さんと一緒にホームパーティをしたり、地域のお祭りに参加したり、犬と海に散歩に行けば、犬友(いぬとも)に出会えたりと、すっかりこの街の生活に馴染んでいます。

折原さん3

犬を飼って生活が一変した。初代愛犬のリキ丸


都心から地方に移住するときには、地域の人たちとうまく馴染めるか、人間関係が重要な要素になります。逗子の地域の皆さんは本当にいい人ばかりで、私はラッキーだったなと思っています。
25年前に戻っても、きっと同じ決断をするでしょう。33歳の自分に声をかけるとしたら、「大丈夫、間違ってないよ!」と言いたいですね。

(文・尾越まり恵)

折原みと
漫画家・小説家
1964年、茨城県石岡市生まれ。85年、角川書店『ASUKA』で少女マンガ家デビュー。87年、ポプラ社刊『ときめき時代 つまさきだちの季節』で小説家デビュー。以来、講談社、ポプラ社、実業之日本社などを中心に、マンガ、小説を多数出版。マンガ、小説にとどまらず、エッセイ、絵本、詩集、フォトエッセイ、料理レシピ本、CDなど、活動は幅広い。
プライベートでは、2級小型船舶免許、ダイビングライセンスを持つ一方、絶滅寸前の大和撫子をめざす和風フリーク。茶道(裏千家)華道(草月流師範)日本舞踊(花柳流名取り)琴(生田流)書道(準師範)居合い(無双直伝英心流初段)。着物好きが高じて、2003年、浴衣デザイナーデビュー。さらに、最近は短歌、朗読なども嗜むお稽古マニア。
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