ヒノヒロコさんショート

2021年、生まれ育った仙台市で運営していたバーを拡張移転し、ショーができるレズビアンショークラブ「楽園」をオープンしました。

祖父が校長先生で祖母も教師、親戚の9割は公務員で、幼少期から厳しく育てられました。
そんな私が、自分は女の子が好きだと気づいたのは小学4年生のときです。足の速い同級生の女子に憧れを抱き、それが恋愛感情なのかどうか、自分でもわからなかったので、保健室の先生に相談したんです。すると、「10代の頃は誰しも同性に対してそういう感情を抱くけど、大人になったら治るから大丈夫」と言われました。

――「治る」ということは、私って病気なのかも……。

当時はいまほどLGBTQに対する理解が進んでいませんでした。
中学生になって、片思いしていた女の子とはじめて付き合うことができたものの、相手に彼氏ができてフラれてしまいます。別れ際に「女の子を好きなんて気持ち悪い」と言われ、心に深い傷を負いました。

転機となったのは、大学時代。表現文化学科のゼミでいろいろな作品作りに真剣に取り組んでいたところ、先生に認めてもらって美術系の大学院への進学を勧められたのです。
大学院に進み、パフォーマンスアートを専攻。研究計画書を提出する際、担当の先生に「あなたはどんな人間なのか、説明してください」と言われました。
そこではじめて自分がレズビアンであることをカミングアウトし、「この世に自分のことを理解してくれる人がいるんだ!」と知りました。

性の多様性をテーマに研究し、パフォーマンスアートとして発表。世の中でもLGBTQの理解促進の動きが高まっていたため、テレビや新聞の取材も受け、人に認めてもらえたことで、「自分のセクシャリティを偽らずに生きていきたい」という思いが強くなりました。

研究を通して新宿2丁目でバー経営をしている方たちとも知り合う機会があり、「ヒロコはお店はやらないの?」とよく聞かれていたんです。
2017年、まずは仙台市内で日曜日だけお店を借りてバーテンを始め、1年間で100万円貯めました。
それを元手に、翌2018年に小さな物件を借り、レズビアンの方が集まって話せるバーをオープンしました。2年後に少し広い物件に移転。でも、私はどうしてもショーができるお店にしたかったんです。

私自身、過去に多くの傷を負い、死にたいと思った瞬間が何度もありました。実際にその手段を取ってしまったこともあります。苦しいときに、救ってくれたのが音楽や舞台などのエンターテインメントでした。たった3分のショータイムでも、誰かの人生を救うことができる。だから、どうしても自分のお店をショークラブにしたかったのです。
ただ、それには風営法をクリアする建物に移る必要がありました。お金を貯めながら物件を探し、2021年についにレズビアンショークラブ「楽園」をオープンすることができました。

「楽園」という店名には、「すべての女子たちにとっての楽園を目指したい」という思いを込めています。お客様は女性限定で、男性は女性と同伴の方のみ。レズビアンではなく、純粋にショーを楽しみたいというお客様もたくさん来てくれます。
日曜日だけのバーからスタートして、8年目。ずっと否定され続けた自分に、会いに来てくれる人がいる。それがとにかく嬉しくて、お客様にどうしたら楽しんでもらえるかを考え続ける毎日です。

お店の運営は大変なこともたくさんありますが、この場所を求めてくださるお客様のおかげで、続けることができています。楽園は、私の人生そのものです。

(構成/尾越まり恵)

レズビアンショークラブ楽園 ホームページ
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