勤めていた会議運営の会社を辞めたのは、私が39歳のときのこと。転職市場でのタイムリミットに背中を押される形で、もう一度「文章を書く」ことを仕事にしようと決めました。
念願だった出版社の内定を得て喜んだのも束の間、退職日交渉に失敗し、あっさり内定は取り消しに。既に退職届は受理されており、瞬く間に無職となりました。折り悪く当時付き合っていた彼氏とも別れ、人生のどん底へ。でも悲しみに浸る猶予はなかった。
――生きていかなければ!
面接にもたどり着けない苦しい転職活動の末、数十社目にして、ようやく化粧品を扱う通販会社にライターの正社員枠で内定を勝ち取ることができました。
そこは、社員数わずか3名のベンチャー企業。「サーバー設定」や「会社の登記」など頼まれる仕事は何でもあり。一方で失敗にも寛容な社風で「どんどん失敗していいから、とにかくやってみてよ」と声をかけてくれる。その言葉に何度も勇気をもらいました。
あのとき、出版社に就職できていたら今も失敗への恐怖にとらわれていたかもしれない。人生は点ではありません。失敗しながら紡いでいく物語の先に、自分自身で意味を見つけていけばよいのだと教えてくれた経験でした。
念願だった出版社の内定を得て喜んだのも束の間、退職日交渉に失敗し、あっさり内定は取り消しに。既に退職届は受理されており、瞬く間に無職となりました。折り悪く当時付き合っていた彼氏とも別れ、人生のどん底へ。でも悲しみに浸る猶予はなかった。
――生きていかなければ!
面接にもたどり着けない苦しい転職活動の末、数十社目にして、ようやく化粧品を扱う通販会社にライターの正社員枠で内定を勝ち取ることができました。
そこは、社員数わずか3名のベンチャー企業。「サーバー設定」や「会社の登記」など頼まれる仕事は何でもあり。一方で失敗にも寛容な社風で「どんどん失敗していいから、とにかくやってみてよ」と声をかけてくれる。その言葉に何度も勇気をもらいました。
あのとき、出版社に就職できていたら今も失敗への恐怖にとらわれていたかもしれない。人生は点ではありません。失敗しながら紡いでいく物語の先に、自分自身で意味を見つけていけばよいのだと教えてくれた経験でした。