
私の決断は、感謝と貢献の人になろうと決めて、2016年にギアミクスを立ち上げたことです。
小学生のときは喘息(ぜんそく)持ちで体が弱かった私。しかし中高生では柔道を突き詰め、高校3年生で近畿大会ベスト8入賞。テレビが好きでメディア関係に進みたかったので高校卒業後は大阪芸術大学放送学科に進学しました。その後、大学時代に始めたキャバクラの黒服のアルバイトにのめり込み、20歳でバイト店長を経験し卒業後も社員として働くこととなりました。
勤務していたキャバクラはブームもあって12卓が常に満席。毎日行列のできる人気店でした。地域性もあって、お客様から頭突きされて鼻の骨が曲がったりドロップキックされたりと過激なことも多く、20時から朝6時まで立ちっぱなしの重労働でした。しかし仕事は好きでしたし、高級ホテルと同レベルのサービスを提供してお客様に「ありがとう」と言っていただけることにやりがいを感じてもいました。
しかしながら20歳から店長をするのは本当に大変なことが多かったです。キャストとスタッフをあわせて40名を管理・育成しながらも売上を上げていき、青年団やチンピラのようなややこしいお客様も対応しなければなりません。そんな大変なのにも関わらず、私はそれが「楽しい」と思っていました。そして、「いつか自分で会社を起こしてみたい」と思うように。その後、体育会系のノリで、誘いを受けて難波・心斎橋のキャバクラ店に勤めることになりました。すぐに新店舗のマネージャーを任されることになりましたが、2年間通常業務はさせてもらえませんでした。成果と目的、根拠、言葉の定義づけ、予算とデータ分析を1日5~6時間話し合わねばならず、そこでひたすらロジカルシンキングを学びました。「がんばる」とか「ちゃんとする」という熱血な言葉は受け入れられず、「根拠は何か」「いつまでに何をするか」ばかりを考え続けていきました。
ロジカルシンキングを身につけたのち、満を持して北新地の店舗で働き始めましたが、これが見事にうまくいきませんでした。答えを導き出すスピードは速くなったのに、人はついてこなくなったのです。「がんばる気が起きない」と悩んでいる部下に「がんばる気持ちなんて必要?」と反問してしまうなど、人の気持ちが見えなくなっていました。31歳、はじめて副店長に降格となり、絶望しました。
10年間、寝る間も惜しんで誰よりもがんばってきたのに、10年前と何も変わっていない。起業のアイデアもない。何もできないんだと痛感し、苦しくなりました。
何をどこで間違ってきたのかを考えたとき、自分は「ご縁」を「何の価値もないもの」として心のごみ箱に捨ててきたのだと思い知りました。20代のときは人が嫌いで、人を信用することができなかったのです。お世話になった店舗を裏切って別の店舗に働きに行ったこともある。だから駄目だったんだと理解した私は、30代は人を大事にしてみようと一念発起。「人に貢献する」という理念を掲げていた異業種交流会に参加しながら、「感謝と貢献の人」として生きていこうと決めました。
そんな中、商業施設のカビ除去作業を請け負っている経営者が業務委託の営業担当者を探していると聞きつけ、「衛生関係の仕事は伸びしろがある」と考えて1年間業務委託を請け負うことに。その中で、サービス自体はすごくニーズがあるのに料金があまりにも高くて困っている人に届かないという課題に気が付きました。「本当にお客様の役に立っているのか?」と疑問を持った私は「それなら自分でやるしかない」と2016年、キャバクラ時代のスタッフたちとともに大阪市中央区でギアミクスを設立しました。スーパーマーケットのカビ除去と防カビコーティング事業からスタートし、現在ではお客様のご要望に応じて「ロープアクセス」という高所作業技術を用いた外壁修繕・点検作業、高圧電気設備(キュービクル)の更新・修繕までを担うようになりました。
現在は、これまでキャバクラで培ってきたホスピタリティやロジカルシンキングを生かしながら、「本当に人の役に立つ仕事」ができていると感じます。今後も「まだ世の中に知られていない技術やサービス」を見つけ出して適正価格で届けていきたい。日本のものづくりや教育をもっとよくしていきたいと考えています。
(構成/岸のぞみ)
小学生のときは喘息(ぜんそく)持ちで体が弱かった私。しかし中高生では柔道を突き詰め、高校3年生で近畿大会ベスト8入賞。テレビが好きでメディア関係に進みたかったので高校卒業後は大阪芸術大学放送学科に進学しました。その後、大学時代に始めたキャバクラの黒服のアルバイトにのめり込み、20歳でバイト店長を経験し卒業後も社員として働くこととなりました。
勤務していたキャバクラはブームもあって12卓が常に満席。毎日行列のできる人気店でした。地域性もあって、お客様から頭突きされて鼻の骨が曲がったりドロップキックされたりと過激なことも多く、20時から朝6時まで立ちっぱなしの重労働でした。しかし仕事は好きでしたし、高級ホテルと同レベルのサービスを提供してお客様に「ありがとう」と言っていただけることにやりがいを感じてもいました。
しかしながら20歳から店長をするのは本当に大変なことが多かったです。キャストとスタッフをあわせて40名を管理・育成しながらも売上を上げていき、青年団やチンピラのようなややこしいお客様も対応しなければなりません。そんな大変なのにも関わらず、私はそれが「楽しい」と思っていました。そして、「いつか自分で会社を起こしてみたい」と思うように。その後、体育会系のノリで、誘いを受けて難波・心斎橋のキャバクラ店に勤めることになりました。すぐに新店舗のマネージャーを任されることになりましたが、2年間通常業務はさせてもらえませんでした。成果と目的、根拠、言葉の定義づけ、予算とデータ分析を1日5~6時間話し合わねばならず、そこでひたすらロジカルシンキングを学びました。「がんばる」とか「ちゃんとする」という熱血な言葉は受け入れられず、「根拠は何か」「いつまでに何をするか」ばかりを考え続けていきました。
ロジカルシンキングを身につけたのち、満を持して北新地の店舗で働き始めましたが、これが見事にうまくいきませんでした。答えを導き出すスピードは速くなったのに、人はついてこなくなったのです。「がんばる気が起きない」と悩んでいる部下に「がんばる気持ちなんて必要?」と反問してしまうなど、人の気持ちが見えなくなっていました。31歳、はじめて副店長に降格となり、絶望しました。
10年間、寝る間も惜しんで誰よりもがんばってきたのに、10年前と何も変わっていない。起業のアイデアもない。何もできないんだと痛感し、苦しくなりました。
何をどこで間違ってきたのかを考えたとき、自分は「ご縁」を「何の価値もないもの」として心のごみ箱に捨ててきたのだと思い知りました。20代のときは人が嫌いで、人を信用することができなかったのです。お世話になった店舗を裏切って別の店舗に働きに行ったこともある。だから駄目だったんだと理解した私は、30代は人を大事にしてみようと一念発起。「人に貢献する」という理念を掲げていた異業種交流会に参加しながら、「感謝と貢献の人」として生きていこうと決めました。
そんな中、商業施設のカビ除去作業を請け負っている経営者が業務委託の営業担当者を探していると聞きつけ、「衛生関係の仕事は伸びしろがある」と考えて1年間業務委託を請け負うことに。その中で、サービス自体はすごくニーズがあるのに料金があまりにも高くて困っている人に届かないという課題に気が付きました。「本当にお客様の役に立っているのか?」と疑問を持った私は「それなら自分でやるしかない」と2016年、キャバクラ時代のスタッフたちとともに大阪市中央区でギアミクスを設立しました。スーパーマーケットのカビ除去と防カビコーティング事業からスタートし、現在ではお客様のご要望に応じて「ロープアクセス」という高所作業技術を用いた外壁修繕・点検作業、高圧電気設備(キュービクル)の更新・修繕までを担うようになりました。
現在は、これまでキャバクラで培ってきたホスピタリティやロジカルシンキングを生かしながら、「本当に人の役に立つ仕事」ができていると感じます。今後も「まだ世の中に知られていない技術やサービス」を見つけ出して適正価格で届けていきたい。日本のものづくりや教育をもっとよくしていきたいと考えています。
(構成/岸のぞみ)
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