国家公務員を辞めて島根県に移住。現地の特産物を使ったクラフトビールを醸造することを決めました。
中学2年生のとき、大好きだった祖父が他界。それが私にとって、大きな転機となりました。商社でバリバリ働いていた祖父はまさに昭和のビジネスマン。そんな憧れの祖父が、仕事を辞めた後に社会とのつながりが希薄になり、認知症になってしまったのです。子ども心に、社会の仕組みに課題を感じ「おじいちゃんみたいに、定年後に元気をなくす人がいなくなる社会にしたい!」と考えるようになりました。
九州大学で法律を学んだ後、政策によって社会を変えたいと考え、国家公務員へ。政策の監査を担う会計検査院に入庁しました。激務ではありましたが、お酒が大好きだったので、夜は東京の街を飲み歩いていました。あるとき、神保町のベルギービールのお店に行って、そのおいしさに衝撃を受けたんです。
「いつか自分でビールを作ってみたい!」
漠然と、そんなことを考えました。
その後、国家公務員としてのキャリアは13年が過ぎ、気が付けば30代半ばになっていました。目の前の仕事に忙殺され、志した原点を忘れかけていた頃、大学で学生に自分のキャリアについて話す機会がありました。そこで、学生の1人に「上床さんの夢はどうなりましたか?」と問われ、ハッとしました。
仕事を続けたまま何か行動できないかと考え、2017年にNPOリライフ社会デザイン協会を設立。当時住んでいた文京区を拠点に、キャリアの棚卸しや将来設計のワークショップなどの活動を始めました。収入を得ない形であれば、国家公務員でもNPO活動ができたのです。
島根県益田市との出会いは2018年。NPOの活動の一環で、関係人口づくりのプロジェクトに参加し、はじめて益田市を訪れました。たまたまプロジェクトに一緒に参加したデザイナーで、後に共同創業者となる清水啓介さんから「高津川のほとりに古い料亭の空き家があって、改装すればビールを作れるのではないか」と提案を受けました。益田市を流れる高津川は、日本一の清流と言われています。この川の水を使えば、おいしいビールが作れるに違いないと思いました。
NPOの活動を通して感じていたのは、シニアの方に熱意があっても、働く場所や機会がないということ。だったら、自分で1人でも多くのシニアの方が働ける場所を作った方がいいのではないか。
2019年に会計検査院を辞め、本格的にビジネスプランを練っていきました。その頃、たまたま益田市の商工会議所がビジネスコンテストを主催していたので試しに応募したところ、1位を獲得。翌日には地元の新聞に大きく掲載されました。まさかの展開に、ビックリです。
清水さんと一緒に「じゃあ銀行に行ってみようか」と地元の銀行を訪ねると、「今日新聞に載っていた方ですよね? いま連絡しようと思っていた方がいらっしゃったので驚きました!」と、トントン拍子に融資を受けられることになりました。
ビール作りはもちろん、経営の経験もない。成功する勝算はまったくなかったけれど、1つだけ、私の中で確固たる自信がありました。それは、20代から誰よりもお酒にお金と時間を投資してきたこと。とにかくビールが大好きで、ビールに対する愛情には自信がある。そんな私が作るビールは、きっとおいしいはず!
初期費用で酒造免許を取得して醸造所を整備。2020年に高津川リバービアを設立してビール作りを始めました。益田市の名産の柚子を使った「益田マスカットエール」や、「くろもじ」という樹木で香りづけした「クロモジギャルド」など、益田市の名産を使うことがこだわりです。4種類のビールからスタートして、地元農家さんとのネットワークの拡大とともにいまは20種類ほどに増えました。
2023年には醸造所の近くに飲食スペースを備えた店舗「クラフト酒場高角」を開業。近隣の60代の夫婦も店舗の接客担当として働いてくれています。増産を目指して、飲食店を併設した新工場の設立の準備を進めています。地元のシニアの方が元気よく働きながら、関東から来たお客様と交流できる場所にしたい。クラフトビールを通してシニアの方と益田市を元気にしたいと思っています。
(構成/尾越まり恵)
中学2年生のとき、大好きだった祖父が他界。それが私にとって、大きな転機となりました。商社でバリバリ働いていた祖父はまさに昭和のビジネスマン。そんな憧れの祖父が、仕事を辞めた後に社会とのつながりが希薄になり、認知症になってしまったのです。子ども心に、社会の仕組みに課題を感じ「おじいちゃんみたいに、定年後に元気をなくす人がいなくなる社会にしたい!」と考えるようになりました。
九州大学で法律を学んだ後、政策によって社会を変えたいと考え、国家公務員へ。政策の監査を担う会計検査院に入庁しました。激務ではありましたが、お酒が大好きだったので、夜は東京の街を飲み歩いていました。あるとき、神保町のベルギービールのお店に行って、そのおいしさに衝撃を受けたんです。
「いつか自分でビールを作ってみたい!」
漠然と、そんなことを考えました。
その後、国家公務員としてのキャリアは13年が過ぎ、気が付けば30代半ばになっていました。目の前の仕事に忙殺され、志した原点を忘れかけていた頃、大学で学生に自分のキャリアについて話す機会がありました。そこで、学生の1人に「上床さんの夢はどうなりましたか?」と問われ、ハッとしました。
仕事を続けたまま何か行動できないかと考え、2017年にNPOリライフ社会デザイン協会を設立。当時住んでいた文京区を拠点に、キャリアの棚卸しや将来設計のワークショップなどの活動を始めました。収入を得ない形であれば、国家公務員でもNPO活動ができたのです。
島根県益田市との出会いは2018年。NPOの活動の一環で、関係人口づくりのプロジェクトに参加し、はじめて益田市を訪れました。たまたまプロジェクトに一緒に参加したデザイナーで、後に共同創業者となる清水啓介さんから「高津川のほとりに古い料亭の空き家があって、改装すればビールを作れるのではないか」と提案を受けました。益田市を流れる高津川は、日本一の清流と言われています。この川の水を使えば、おいしいビールが作れるに違いないと思いました。
NPOの活動を通して感じていたのは、シニアの方に熱意があっても、働く場所や機会がないということ。だったら、自分で1人でも多くのシニアの方が働ける場所を作った方がいいのではないか。
2019年に会計検査院を辞め、本格的にビジネスプランを練っていきました。その頃、たまたま益田市の商工会議所がビジネスコンテストを主催していたので試しに応募したところ、1位を獲得。翌日には地元の新聞に大きく掲載されました。まさかの展開に、ビックリです。
清水さんと一緒に「じゃあ銀行に行ってみようか」と地元の銀行を訪ねると、「今日新聞に載っていた方ですよね? いま連絡しようと思っていた方がいらっしゃったので驚きました!」と、トントン拍子に融資を受けられることになりました。
ビール作りはもちろん、経営の経験もない。成功する勝算はまったくなかったけれど、1つだけ、私の中で確固たる自信がありました。それは、20代から誰よりもお酒にお金と時間を投資してきたこと。とにかくビールが大好きで、ビールに対する愛情には自信がある。そんな私が作るビールは、きっとおいしいはず!
初期費用で酒造免許を取得して醸造所を整備。2020年に高津川リバービアを設立してビール作りを始めました。益田市の名産の柚子を使った「益田マスカットエール」や、「くろもじ」という樹木で香りづけした「クロモジギャルド」など、益田市の名産を使うことがこだわりです。4種類のビールからスタートして、地元農家さんとのネットワークの拡大とともにいまは20種類ほどに増えました。
2023年には醸造所の近くに飲食スペースを備えた店舗「クラフト酒場高角」を開業。近隣の60代の夫婦も店舗の接客担当として働いてくれています。増産を目指して、飲食店を併設した新工場の設立の準備を進めています。地元のシニアの方が元気よく働きながら、関東から来たお客様と交流できる場所にしたい。クラフトビールを通してシニアの方と益田市を元気にしたいと思っています。
(構成/尾越まり恵)
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