佐嘉田英樹

私の決断は、56歳で前職を退職し、不動産コンサルティング事業を営むアテナ・パートナーズを立ち上げたことです。

理系の分野が好きだったので研究者や科学者になりたいと思い、大学は東京大学理科一類へ。ところが在学中に教養科目の思想・哲学に興味を惹かれて文転し、文学部社会学科を卒業しました。学生時代に投資信託を始めていたこと、父親が不動産・建築・内装材卸を営む会社を経営していたこと、バブルの華やかな時代であったことから大学卒業後は富士銀行(現みずほ銀行)に就職を決めました。川崎支店と神田支店でそれぞれ3年ずつ勤務したのち本社のマーケティング部門へ異動。中小企業の融資営業や個人部門のデータ・マーケティング開発などを手がけていきました。

1997年頃になると金融不況となり、大手金融機関が破綻し、取引先に対しては融資よりも貸し渋り・貸しはがしなどが始まりました。入行時の中小企業の成長発展を融資で支援するという初志が実現できないと考え、父親の会社を継ぐことを意識。小学校から高校まで過ごした福岡で、父親の会社に転職することを決意します。アパートの開発や不動産コンサルティングの仕事自体は楽しく、リーマン・ショックの影響で最終的に形にはなりませんでしたが、駅ビルの再生プロジェクトなど、興味深いプロジェクトにも多数関わることができました。

しかし次第にファンドバブル崩壊の影響が色濃くなってきたことを受け、2012年、神奈川県にいた知人が建設不動産会社を本格的に立ち上げるということで合流し、ナンバー2として勤務しました。2021年頃になると新型コロナの影響もあり、知人との経営方針の違いを感じるように。ちょうどそのタイミングで介護施設を開発・運営するオーナー企業の社長から開発営業部門の管理職としてヘッドハンティングされ、2021年に転職して新会社で働き始めます。ところが転職の1カ月後に社長が全株式を売却し、2~3カ月で私を引き抜いてくれた社長自身も会社を去ってしまいました。この2~3カ月の間に多くの優秀な社員が退職したり、自社運営の介護施設の新規開業戦略を変更したりしたことで、これまでの技術やノウハウが生かせなくなり、営業仕掛り案件をお断りするなどお客様にもご迷惑をお掛けするケースが出てきてしまいました。

――新規開業を計画していた介護施設のお客様にこれ以上ご迷惑をお掛けすることはできない。ずっと経営者の方針の違いに悩まされてきたけれど、こうなったら自分でやるしかない!

そこで56歳のときに会社を退職し、新たに不動産コンサルティング会社であるアテナ・パートナーズを設立。その後、前職でお断りした介護施設の仕掛かり案件を受託し、新たな工事業者などを見つけて、何とか開業までこぎつけることができました。

アテナ・パートナーズでは現在、相続や事業承継、低未利用不動産の有効活用、資産の組み換え、収益物件の取得・運用などクライアントが抱える不動産に関する課題・悩みを多角的にサポートする事業を展開しています。独立してからは自分で経営理念を立て、一貫性を持った言動を取ることができるようになりました。また、周囲の方からいろいろと気にかけていただいたり、お客様や案件を紹介していただいたりすることも多く、感謝の気持ちが大きくなるとともに責任の重さも実感しています。

直近の目標としては、安定的な売り上げ・利益を確保して経営基盤を固められるようクライアント拡大に努めるとともに、1つひとつのプロジェクトに真摯に取り組みながら信用を得て、実績を積み上げていきたいと考えています。そして、企業理念である「後世にカタチ(建築物・街並み)や記憶・感動・共感を残すプロジェクトの完遂を通じて、クライアントや社会の課題を解決し、パワーパートナーとともに成功と幸せを分かち合う」ことを実現させたいです。

(構成/岸のぞみ)

アテナ・パートナーズ株式会社 ホームぺージ

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