大学生のとき、音楽の専門学校に通う友達の影響で、パソコンでの「打ち込み」作曲を始めました。そこから作曲の楽しさに目覚め、「音楽の世界で生きていこう」と決めました。
はじめて音楽に触れた記憶は、幼稚園の頃に見ていたテレビ番組の「ポンキッキーズ」。スチャダラパーさんや安室奈美恵さんなど、いろいろなジャンルの音楽を聞いて「音が面白いな!」と感じたんです。それが私の原点です。
本格的に音楽を始めたのは高校生になってからで、軽音楽部に入部して、ギターとベースを担当。コピー曲を演奏していたのですが、ライブで「あまり話したくないな」と思って、コピー曲とコピー曲の間に、短いインターバル曲を作って流していたんです。それが、人生初の作曲です。
当時は音楽を仕事にすることは考えていなかったので、高校卒業後は大学に進学しました。音楽サークルなどを探してみたものの、どれもピンときません。そんなときに、友達が専門学校でパソコンの打ち込みによる作曲を習ったと聞き、どんなふうに作っているのか、興味を持ちました。
楽器を弾きながら作るのではなく、パソコンに専用ソフトをインストールして、鍵盤(MIDIキーボード)をつなぎ、作曲していく。この作曲方法は当時はまだ珍しく、私にとっても未知の世界。挑戦してみるとすごく面白く、夢中になって、週に何日も友達の家に通い、泊まり込みで教えてもらいました。
そうして友達と作った楽曲をインターネットの音楽サイトにアップしていたら、すぐにインターネットラジオの担当者から「ラジオでかけさせてほしい」とオファーをいただいたんです。
「あれ? 俺たちイケるんじゃない?」
と、いい意味で勘違いをして(笑)、作曲を仕事にしたいと考えるようになりました。
卒業後はアルバイトをしながら作曲した曲をサイトにアップしたり、レコード会社のオーディションに応募したり。その頃になるとEXILEやm-floなど、打ち込み作曲をする「トラックメーカー」と呼ばれる人たちも増えてきて、自分もパソコンで作るほうが向いているなと感じていました。
しかし、どれだけ楽曲を送っても採用されない日々が数年続き、一緒に作曲していた友達は就職し、音楽から離れることに。「自分はどうしようかな……」と悩んでいたときに、知人が主宰する劇団の音楽を依頼されることになり、はじめて劇伴音楽を手掛けました。劇伴音楽の作曲は楽しく、全部で14曲作り、実績にもなりました。
ただ、劇団に豊富な資金があるわけではなく、作曲もお金にはなりません。生活が苦しく、心が折れそうにもなることもしばしば。
それでも何とか続けていたら、2013年頃から知り合いのつてで他の舞台や映像の作曲の仕事ももらえるようになり、そこからは少しずつ状況が上向いてきました。30代になってからは、アルバイトをせず作曲だけで生活できるようになりました。
その後の大きな転機は2018年。かつてコールセンターのアルバイトをしていたときに一緒に働いていた上田慎一郎監督がはじめて製作した長編映画『カメラを止めるな!』の音楽を手掛けさせていただくことになったんです。映画は大ヒットし、2019年の日本アカデミー賞優秀音楽賞にノミネートされました。受賞の連絡をもらったときは「まさか!」と、とにかく驚きましたね。大きな実績ができたことで、手掛ける作曲のジャンルの幅も広がっていきました。
作曲家として生きていくという決断は、いま思えば博打のような選択でしたが、自分ではいい選択をしたなと思っています。生活が苦しい時代も長かったけれど、諦めずに続けて良かった。
今後は、Netflixオリジナルコンテンツや縦型のショートドラマなど、新しいジャンルの音楽にも挑戦していきたいと考えています。2025年2月には東京・世田谷区にレコーディングスタジオを立ち上げました。自分の作曲活動だけでなく、ボーカリストや声優などのレコーディングもサポートしています。生涯現役で音楽に携わることが目標です。
(構成/尾越まり恵)
はじめて音楽に触れた記憶は、幼稚園の頃に見ていたテレビ番組の「ポンキッキーズ」。スチャダラパーさんや安室奈美恵さんなど、いろいろなジャンルの音楽を聞いて「音が面白いな!」と感じたんです。それが私の原点です。
本格的に音楽を始めたのは高校生になってからで、軽音楽部に入部して、ギターとベースを担当。コピー曲を演奏していたのですが、ライブで「あまり話したくないな」と思って、コピー曲とコピー曲の間に、短いインターバル曲を作って流していたんです。それが、人生初の作曲です。
当時は音楽を仕事にすることは考えていなかったので、高校卒業後は大学に進学しました。音楽サークルなどを探してみたものの、どれもピンときません。そんなときに、友達が専門学校でパソコンの打ち込みによる作曲を習ったと聞き、どんなふうに作っているのか、興味を持ちました。
楽器を弾きながら作るのではなく、パソコンに専用ソフトをインストールして、鍵盤(MIDIキーボード)をつなぎ、作曲していく。この作曲方法は当時はまだ珍しく、私にとっても未知の世界。挑戦してみるとすごく面白く、夢中になって、週に何日も友達の家に通い、泊まり込みで教えてもらいました。
そうして友達と作った楽曲をインターネットの音楽サイトにアップしていたら、すぐにインターネットラジオの担当者から「ラジオでかけさせてほしい」とオファーをいただいたんです。
「あれ? 俺たちイケるんじゃない?」
と、いい意味で勘違いをして(笑)、作曲を仕事にしたいと考えるようになりました。
卒業後はアルバイトをしながら作曲した曲をサイトにアップしたり、レコード会社のオーディションに応募したり。その頃になるとEXILEやm-floなど、打ち込み作曲をする「トラックメーカー」と呼ばれる人たちも増えてきて、自分もパソコンで作るほうが向いているなと感じていました。
しかし、どれだけ楽曲を送っても採用されない日々が数年続き、一緒に作曲していた友達は就職し、音楽から離れることに。「自分はどうしようかな……」と悩んでいたときに、知人が主宰する劇団の音楽を依頼されることになり、はじめて劇伴音楽を手掛けました。劇伴音楽の作曲は楽しく、全部で14曲作り、実績にもなりました。
ただ、劇団に豊富な資金があるわけではなく、作曲もお金にはなりません。生活が苦しく、心が折れそうにもなることもしばしば。
それでも何とか続けていたら、2013年頃から知り合いのつてで他の舞台や映像の作曲の仕事ももらえるようになり、そこからは少しずつ状況が上向いてきました。30代になってからは、アルバイトをせず作曲だけで生活できるようになりました。
その後の大きな転機は2018年。かつてコールセンターのアルバイトをしていたときに一緒に働いていた上田慎一郎監督がはじめて製作した長編映画『カメラを止めるな!』の音楽を手掛けさせていただくことになったんです。映画は大ヒットし、2019年の日本アカデミー賞優秀音楽賞にノミネートされました。受賞の連絡をもらったときは「まさか!」と、とにかく驚きましたね。大きな実績ができたことで、手掛ける作曲のジャンルの幅も広がっていきました。
作曲家として生きていくという決断は、いま思えば博打のような選択でしたが、自分ではいい選択をしたなと思っています。生活が苦しい時代も長かったけれど、諦めずに続けて良かった。
今後は、Netflixオリジナルコンテンツや縦型のショートドラマなど、新しいジャンルの音楽にも挑戦していきたいと考えています。2025年2月には東京・世田谷区にレコーディングスタジオを立ち上げました。自分の作曲活動だけでなく、ボーカリストや声優などのレコーディングもサポートしています。生涯現役で音楽に携わることが目標です。
(構成/尾越まり恵)
永井カイル X