1986年10月、創業期のカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)への転職を決めました。
早稲田大学在学中、講談社に直接原稿を持ち込み、『HOT-Dog PRESS(ホットドッグプレス)』や『Checkmate(チェックメイト)』のライターをしていました。そのままフリーランスのライターになろうと考えていたのですが、先輩に「一度は会社に入って勉強した方がいいよ」とアドバイスされ、広告代理店に就職。2年ほど営業を学びました。
そこからリクルートに転職して1年ほど働きますが、「自分はどうも民間企業で働くことに向いていない」と考えるようになります。そこで、若気の正義感から警察官になろうと考えました。東京・銀座の大型書店で警察官の採用試験の問題集を大量に買い込み、リクルートのオフィスに戻る道すがら、当時リクルートの営業トップで、70年代にフォークデュオ「ちゃんちゃこ」として活動していた北方義朗さんとバッタリ会いました。
リクルートを辞めようと考えていることを話すと、「そうか、俺も辞めようと思ってんねん。俺の友達の増田くんが会社を起こしたんや」と言います。
この“増田くん”を私はそのときは知らなかったのですが、北方さんが高校生のときの家庭教師で、CCC創業者である増田宗昭さんでした。
どんな会社なのか聞いてみると、「レンタルビデオと本屋の新しいタイプの店や」と言う。一度話を聞いてみないかと言われたものの、正直、「僕は警察官になると決めているのに、めんどくさいな……」と思いました。しかしお世話になった先輩なので無下にもできない。数日後に、1対1で増田さん(入社後は増田社長とお呼びしている)と会うことになりました。
そのときの増田さんの説明によると、「CCCはちょうど書店の大手取次会社の日本出版販売株式会社(日販)と提携が決まったところ。日販の提携書店は、全国2万店ある書店のうちの約半分の1万店。日販と提携している書店1万のうち、3000店舗にTSUTAYAのレンタルビデオショップが入るはずだ。これからは、映像が文字を代替していく時代がくる」。
僕自身、これからは映像の時代だと考えていたので、増田さんのその話はすとんと腹に落ちました。
さらに、増田さんはその先の展開も見据えていました。
「1店舗あたり1万人が会員になるから、3000店舗で3000万人がCCCの会員になる。TSUTAYA書店のPOSレジは誰が何を借りたかのデータがとれる。リクルートよりも良質なデータだ。ユーザーの趣味嗜好に合わせて企業のDMを送るような、今までにないダイレクトマーケティングができる」
この当時、レンタルビデオを扱うTSUTAYAショップは本社のある関西地方を中心にまだ10店舗程度。レンタルビデオというと成人向けビデオのイメージも強く、東京にもまだ進出していない状況でした。
そんなときに、増田さんには3000店舗、会員3000万人の未来が見えていたんです。
この話を聞いた瞬間に、私は「CCCにいこう」と決めました。
それは感覚的なものではなく、論理的に、「このビジネスは間違いなく勝つ」とハッキリと思ったからです。
1カ月後にはリクルートを退職し、1986年10月にCCCに入社。社員番号は23番でした。民間企業は合わないと思っていましたが、トップである増田さんのビジョンに強く共感していたので、これまでとは状況が違いました。
その後、増田さんの思い描いた通り、TSUTAYAは躍進していきます。ただ、市場の拡大には大きな苦しみも伴い、次々に生まれてくる数々の競合との闘いを続け、成長期の社内はずっと修羅場でした。
1998年からは私はCCC本社を離れ、いくつかの子会社のCEOを歴任。中でも印象深いのは、カルチュア・パブリッシャーズで海外の映画・テレビドラマの買い付けに携わったこと。韓国ビジネスを立ち上げ、ドラマ「美男(イケメン)ですね」では第二次韓流ブームに貢献しました。
2015年からグループのデジタルハリウッドの代表に就任し、今は私自身も学生たちに講義をしています。
選ばなかった人生と比較することはできませんが、振り返って、あのときCCCに入る以上の良い選択肢はなかっただろうと思います。
人生では決断に迫られる場面がいくつもあります。「勝ちストーリー」が見えるかどうか。それが決断する際の重要なポイントの1つだと思います。
(構成/尾越まり恵)
早稲田大学在学中、講談社に直接原稿を持ち込み、『HOT-Dog PRESS(ホットドッグプレス)』や『Checkmate(チェックメイト)』のライターをしていました。そのままフリーランスのライターになろうと考えていたのですが、先輩に「一度は会社に入って勉強した方がいいよ」とアドバイスされ、広告代理店に就職。2年ほど営業を学びました。
そこからリクルートに転職して1年ほど働きますが、「自分はどうも民間企業で働くことに向いていない」と考えるようになります。そこで、若気の正義感から警察官になろうと考えました。東京・銀座の大型書店で警察官の採用試験の問題集を大量に買い込み、リクルートのオフィスに戻る道すがら、当時リクルートの営業トップで、70年代にフォークデュオ「ちゃんちゃこ」として活動していた北方義朗さんとバッタリ会いました。
リクルートを辞めようと考えていることを話すと、「そうか、俺も辞めようと思ってんねん。俺の友達の増田くんが会社を起こしたんや」と言います。
この“増田くん”を私はそのときは知らなかったのですが、北方さんが高校生のときの家庭教師で、CCC創業者である増田宗昭さんでした。
どんな会社なのか聞いてみると、「レンタルビデオと本屋の新しいタイプの店や」と言う。一度話を聞いてみないかと言われたものの、正直、「僕は警察官になると決めているのに、めんどくさいな……」と思いました。しかしお世話になった先輩なので無下にもできない。数日後に、1対1で増田さん(入社後は増田社長とお呼びしている)と会うことになりました。
そのときの増田さんの説明によると、「CCCはちょうど書店の大手取次会社の日本出版販売株式会社(日販)と提携が決まったところ。日販の提携書店は、全国2万店ある書店のうちの約半分の1万店。日販と提携している書店1万のうち、3000店舗にTSUTAYAのレンタルビデオショップが入るはずだ。これからは、映像が文字を代替していく時代がくる」。
僕自身、これからは映像の時代だと考えていたので、増田さんのその話はすとんと腹に落ちました。
さらに、増田さんはその先の展開も見据えていました。
「1店舗あたり1万人が会員になるから、3000店舗で3000万人がCCCの会員になる。TSUTAYA書店のPOSレジは誰が何を借りたかのデータがとれる。リクルートよりも良質なデータだ。ユーザーの趣味嗜好に合わせて企業のDMを送るような、今までにないダイレクトマーケティングができる」
この当時、レンタルビデオを扱うTSUTAYAショップは本社のある関西地方を中心にまだ10店舗程度。レンタルビデオというと成人向けビデオのイメージも強く、東京にもまだ進出していない状況でした。
そんなときに、増田さんには3000店舗、会員3000万人の未来が見えていたんです。
この話を聞いた瞬間に、私は「CCCにいこう」と決めました。
それは感覚的なものではなく、論理的に、「このビジネスは間違いなく勝つ」とハッキリと思ったからです。
1カ月後にはリクルートを退職し、1986年10月にCCCに入社。社員番号は23番でした。民間企業は合わないと思っていましたが、トップである増田さんのビジョンに強く共感していたので、これまでとは状況が違いました。
その後、増田さんの思い描いた通り、TSUTAYAは躍進していきます。ただ、市場の拡大には大きな苦しみも伴い、次々に生まれてくる数々の競合との闘いを続け、成長期の社内はずっと修羅場でした。
1998年からは私はCCC本社を離れ、いくつかの子会社のCEOを歴任。中でも印象深いのは、カルチュア・パブリッシャーズで海外の映画・テレビドラマの買い付けに携わったこと。韓国ビジネスを立ち上げ、ドラマ「美男(イケメン)ですね」では第二次韓流ブームに貢献しました。
2015年からグループのデジタルハリウッドの代表に就任し、今は私自身も学生たちに講義をしています。
選ばなかった人生と比較することはできませんが、振り返って、あのときCCCに入る以上の良い選択肢はなかっただろうと思います。
人生では決断に迫られる場面がいくつもあります。「勝ちストーリー」が見えるかどうか。それが決断する際の重要なポイントの1つだと思います。
(構成/尾越まり恵)
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