2014年から始めた、マラソン世界6大会(ワールドマラソンメジャーズ)へのチャレンジ。ニューヨークシティマラソンを皮切りに、シカゴ、ベルリン、東京、ボストンを走り切り、2023年、ついに6つ目となるロンドンマラソンを完走しました。
ランニングを始めたのは1997年、41歳のときです。内科医として多忙を極めており、運動不足と不摂生がたたって体重が増加。1月2日、テレビで箱根駅伝を見ながら「よし、走ろう!」と心を決めました。自宅が千葉県の浦安市なので、練習コースはディズニーランドの外周約4㎞。
その年の11月にはじめてフルマラソンの大会に出場し、ネットタイムは3時間30分でした。「これは3時間切り(サブスリー)も夢じゃない」とさらに練習を重ねましたが、なかなか3時間が切れません。ようやくサブスリーを達成したのは2003年の勝田全国マラソンで、タイムは2時間58分42秒。達成までに6年を要しました。
次なる挑戦は、北海道の「サロマ湖100kmウルトラマン」。10年連続で出場し、ランナーの名誉といえる青いゼッケン「サロマンブルー」を獲得しました。
2014年に始まった米国のヘルスケア企業のAbbott(アボット)が、世界6大会を制覇した人にオリジナルの認定メダル「Six Star Finishers」を進呈する「ワールドマラソンメジャーズ」の企画を始めたことを知り、これを次の目標にしました。東京マラソンの出場倍率が10倍なのは有名な話ですが、世界大会もエントリーは簡単ではありません。特に大変だったのはロンドンで、倍率も公表されていない状況。2014年から毎年抽選エントリーを続けましたが、当選しません。2019年にボストンを走り、いよいよ残すところロンドンだけとなったところでコロナ禍となり、2020年からの2年間は大会が中止に。年齢的にもフルマラソンを走るのがきつくなってきたこともあり、「これが最後のフルかもしれない」と考え、かなり割高ではあるものの、思い切ってエントリー権付きのJTBのツアーで参加することを決めました。
グリニッジ天文台の近くからスタートして、タワーブリッジを渡ってロンドン中心部を走り、バッキンガム宮殿前を折り返してゴール! タイムは遅く、つらい42.195㎞でしたが、完走してメダルを受け取ったときは、久しぶりに大きな達成感を味わうとともに、「長い道のりが終わった」と口にしていました。
マラソンを始めて26年。仕事でもさまざまな局面があった中で、走ることが精神的な支えになっていたと感じます。複数の走友会に参加して仕事以外の交流も広がりました。少しペースを落としつつ、これからも健康のために走り続けます。
ランニングを始めたのは1997年、41歳のときです。内科医として多忙を極めており、運動不足と不摂生がたたって体重が増加。1月2日、テレビで箱根駅伝を見ながら「よし、走ろう!」と心を決めました。自宅が千葉県の浦安市なので、練習コースはディズニーランドの外周約4㎞。
その年の11月にはじめてフルマラソンの大会に出場し、ネットタイムは3時間30分でした。「これは3時間切り(サブスリー)も夢じゃない」とさらに練習を重ねましたが、なかなか3時間が切れません。ようやくサブスリーを達成したのは2003年の勝田全国マラソンで、タイムは2時間58分42秒。達成までに6年を要しました。
次なる挑戦は、北海道の「サロマ湖100kmウルトラマン」。10年連続で出場し、ランナーの名誉といえる青いゼッケン「サロマンブルー」を獲得しました。
2014年に始まった米国のヘルスケア企業のAbbott(アボット)が、世界6大会を制覇した人にオリジナルの認定メダル「Six Star Finishers」を進呈する「ワールドマラソンメジャーズ」の企画を始めたことを知り、これを次の目標にしました。東京マラソンの出場倍率が10倍なのは有名な話ですが、世界大会もエントリーは簡単ではありません。特に大変だったのはロンドンで、倍率も公表されていない状況。2014年から毎年抽選エントリーを続けましたが、当選しません。2019年にボストンを走り、いよいよ残すところロンドンだけとなったところでコロナ禍となり、2020年からの2年間は大会が中止に。年齢的にもフルマラソンを走るのがきつくなってきたこともあり、「これが最後のフルかもしれない」と考え、かなり割高ではあるものの、思い切ってエントリー権付きのJTBのツアーで参加することを決めました。
グリニッジ天文台の近くからスタートして、タワーブリッジを渡ってロンドン中心部を走り、バッキンガム宮殿前を折り返してゴール! タイムは遅く、つらい42.195㎞でしたが、完走してメダルを受け取ったときは、久しぶりに大きな達成感を味わうとともに、「長い道のりが終わった」と口にしていました。
マラソンを始めて26年。仕事でもさまざまな局面があった中で、走ることが精神的な支えになっていたと感じます。複数の走友会に参加して仕事以外の交流も広がりました。少しペースを落としつつ、これからも健康のために走り続けます。