2017年、医療従事者(医師、看護師、理学療法士など)の人たちとともに、心臓手術経験者たちが一緒に走るFun Runイベントを開催しました。
マーケティング関連の会社勤務を経て30代で独立。お酒をたくさん飲み、徹夜で仕事をするような毎日の中で、健康のために何か運動をしようと考えて始めたのがランニングでした。まだ、日本のマラソンブームの火付け役となった東京マラソンが始まる前のことです。はじめて出場したのは、ハワイのホノルルマラソン。完走までに6時間以上かかりましたが、ゴール前で先にゴールしたランナーたちが並んで声援を送ってくれたことに涙が出そうなほど感動しました。
2010年には東京マラソンを完走。ちょうど自分の誕生日と重なったために「本日誕生日」というメッセージをつけて走ると、沿道からみんなが「おめでとう!」と声をかけてくれました。
身体に異変が出たのは、その少し前のこと。風邪か腹痛かで訪れた病院で医師に「心臓に雑音がある」と指摘されました。自覚症状がなかったために気に留めていなかったのですが、数年後に再度病院で雑音を指摘され循環器内科に行ったところ、「僧帽弁閉鎖不全症」と診断されました。心臓の弁が閉じず、血液が逆流する病気です。驚きましたが、まだ症状がひどくないために経過観察となり、その間は医師の許可を得てジョギングも続けていました。
ところが、あるとき走っていたら急に息苦しくなり、咳き込んで倒れそうになってしまったのです。病院に行くと、逆流した血液が肺に入ったとのことで、手術をすることになりました。そのときの執刀医が、千葉県松戸にある新東京病院の心臓外科医師だった山口裕己先生です。
そこまで難しい手術ではないと聞いていましたが、結果的に手術は10時間に及び、ICUで数日を過ごし、意識がハッキリと戻るまでには1週間以上かかりました。
その後は順調に回復し、経過観察を続けながらランニングを再開。再び、自分の誕生日と重なった2016年に東京マラソンで大会復帰することに。今度は前に「本日誕生日」、背中に「心臓手術後初マラソン」と書いたメッセージをつけて走りました。
そうすると、ランナーのみんなから「すごいですね」「大変でしたね」と声をかけられ、中には「明日、抗がん剤治療をうけるんです」と言う人もいました。
当時、昭和大学江東豊洲病院に移っていた山口先生も、ゴール前の豊洲の沿道で応援してくれました。
「鏡味さん、僕も走ります。一緒に走りましょう!」
病院でマラソンサークルを立ち上げ、私も含めた患者もそのサークルに入っていましが、自分が手術した患者が走っている姿に触発されたのか、2017年には山口先生も一緒に東京マラソンを走りました。
そのような経験から、心臓手術経験者たちが集まって走るようなイベントを開催できないかと考えるようになり、サークルでプレゼンしたところみんなが「やろう!」と盛り上がりました。
とはいえ、大会の開催は簡単ではありません。警察に道路の使用を申請したものの許可が下りず、病院近くの学校の校庭を借り、学校と病院の周辺約500mをぐるぐる回るようなコースを設計。そうして2017年4月に「After Surgery(手術) Fun Run」イベントを無事開催にこぎつけ、約60人が集まりました。
和やかな雰囲気でイベントは進行し、最後におばあさんがゴールしたときには、自然と周囲から拍手が巻き起こりました。
このイベントを知った医療系外資企業が協賛してくださることになり、協会を立ち上げ、その後7年にわたりいまも活動を継続しています。2024年のFun Runイベントには総勢200人以上が参加しました。今後はこのイベントを1万人規模に拡大した世界大会も開催したいと考えています。
手術後、落ち込んでいたけれど、このイベントを知り走り始めたという人もたくさんいます。心臓手術をしても、人生は終わりじゃない。病気の経験をネガティブにとらえ、隠して生きる必要はありません。手術後にフルマラソンを走れるようになるほど元気になる人はたくさんいます。僕自身、心臓手術を経験したことでこのような活動に携わることができ、人生が豊かになったと感じています。何よりも、シンプルに楽しいからこの活動を続けています。
(構成/尾越まり恵)
マーケティング関連の会社勤務を経て30代で独立。お酒をたくさん飲み、徹夜で仕事をするような毎日の中で、健康のために何か運動をしようと考えて始めたのがランニングでした。まだ、日本のマラソンブームの火付け役となった東京マラソンが始まる前のことです。はじめて出場したのは、ハワイのホノルルマラソン。完走までに6時間以上かかりましたが、ゴール前で先にゴールしたランナーたちが並んで声援を送ってくれたことに涙が出そうなほど感動しました。
2010年には東京マラソンを完走。ちょうど自分の誕生日と重なったために「本日誕生日」というメッセージをつけて走ると、沿道からみんなが「おめでとう!」と声をかけてくれました。
身体に異変が出たのは、その少し前のこと。風邪か腹痛かで訪れた病院で医師に「心臓に雑音がある」と指摘されました。自覚症状がなかったために気に留めていなかったのですが、数年後に再度病院で雑音を指摘され循環器内科に行ったところ、「僧帽弁閉鎖不全症」と診断されました。心臓の弁が閉じず、血液が逆流する病気です。驚きましたが、まだ症状がひどくないために経過観察となり、その間は医師の許可を得てジョギングも続けていました。
ところが、あるとき走っていたら急に息苦しくなり、咳き込んで倒れそうになってしまったのです。病院に行くと、逆流した血液が肺に入ったとのことで、手術をすることになりました。そのときの執刀医が、千葉県松戸にある新東京病院の心臓外科医師だった山口裕己先生です。
そこまで難しい手術ではないと聞いていましたが、結果的に手術は10時間に及び、ICUで数日を過ごし、意識がハッキリと戻るまでには1週間以上かかりました。
その後は順調に回復し、経過観察を続けながらランニングを再開。再び、自分の誕生日と重なった2016年に東京マラソンで大会復帰することに。今度は前に「本日誕生日」、背中に「心臓手術後初マラソン」と書いたメッセージをつけて走りました。
そうすると、ランナーのみんなから「すごいですね」「大変でしたね」と声をかけられ、中には「明日、抗がん剤治療をうけるんです」と言う人もいました。
当時、昭和大学江東豊洲病院に移っていた山口先生も、ゴール前の豊洲の沿道で応援してくれました。
「鏡味さん、僕も走ります。一緒に走りましょう!」
病院でマラソンサークルを立ち上げ、私も含めた患者もそのサークルに入っていましが、自分が手術した患者が走っている姿に触発されたのか、2017年には山口先生も一緒に東京マラソンを走りました。
そのような経験から、心臓手術経験者たちが集まって走るようなイベントを開催できないかと考えるようになり、サークルでプレゼンしたところみんなが「やろう!」と盛り上がりました。
とはいえ、大会の開催は簡単ではありません。警察に道路の使用を申請したものの許可が下りず、病院近くの学校の校庭を借り、学校と病院の周辺約500mをぐるぐる回るようなコースを設計。そうして2017年4月に「After Surgery(手術) Fun Run」イベントを無事開催にこぎつけ、約60人が集まりました。
和やかな雰囲気でイベントは進行し、最後におばあさんがゴールしたときには、自然と周囲から拍手が巻き起こりました。
このイベントを知った医療系外資企業が協賛してくださることになり、協会を立ち上げ、その後7年にわたりいまも活動を継続しています。2024年のFun Runイベントには総勢200人以上が参加しました。今後はこのイベントを1万人規模に拡大した世界大会も開催したいと考えています。
手術後、落ち込んでいたけれど、このイベントを知り走り始めたという人もたくさんいます。心臓手術をしても、人生は終わりじゃない。病気の経験をネガティブにとらえ、隠して生きる必要はありません。手術後にフルマラソンを走れるようになるほど元気になる人はたくさんいます。僕自身、心臓手術を経験したことでこのような活動に携わることができ、人生が豊かになったと感じています。何よりも、シンプルに楽しいからこの活動を続けています。
(構成/尾越まり恵)
一般社団法人After Surgery Fun Run協会 ホームページ