森 優希

小学6年生のときに見たアフリカのドキュメンタリーがきっかけで、「いつか起業して、社会の役に立とう」と心に決めました。

老舗の家業を営む私の父は、私が小学生の頃から「世界を見てほしい」と言っていました。小学6年生のある日、テレビをつけるとアフリカの子どもたちの映像が流れてきました。片道2時間かけて水を汲みに行く姉妹は、昼間は父親が営む農業を手伝い、夜は暗闇の中で本を読む生活をしていました。「毎日ごはんが食べられること、学校に通えることは当たり前じゃない」と衝撃を受け、「いつかアフリカに行って、彼女たちと話したい」と考えるようになりました。そのころに、宮沢賢治の詩やマザーテレサの生き方に感銘を受けて「困っている人がいたら、手を差し伸べられる人になりたい。世界中のみんなを笑顔にしたい」と卒業文集に志を掲げました。

中学2年生のときに発生した新潟県中越地震では、父とともに炊き出しなど、数日間の支援を実施。現地に足を運び、現場の声を聞くことの重要性を学びました。高校卒業後は「社会課題×起業×アフリカ」と検索してゼミがヒットした京都の龍谷大学政策学部に進学。入学後すぐにアフリカに行きたいと考え、タンザニアへのスタディツアーに参加しました。

20人ほどのメンバーで、タンザニアへ。奴隷貿易の跡地や貧困地域などを回り、ドミトリーや農村部に宿泊しました。広大な大地とおいしい食べ物、現地の人々の温かい人柄に心打たれてタンザニアのことが大好きになる一方、物乞いや日雇い労働をしながら路上生活をする子どもたちがあふれ、教育も受けずに、段ボールの上で生活する厳しい現実も目の当たりにしました。

帰国した私はお風呂に入り、お湯が出たときに、ありがたさを感じて涙が出ました。当たり前とは何なのかを改めて、考えるようになりました。ただ、生まれた場所が違うだけで選択の機会が失われるのはもったいないと思い、路上に住む子どもたちを対象にした職業訓練と教育を支援するボランティア団体を大学2年生のときに立ち上げ、代表を務めました。

しかしアフリカへの渡航費だけでも高く、みなが現地に行けるわけではありませんでした。1年後にメンバーの3分の1が離れてしまったことを受け、社会的なインパクトを出し続けるには、一過性の自己満足ではない、持続可能なビジネスの「仕組み」が必要だと痛感しました。そこで大学3年生のときから起業塾に通いながら10社以上のコンサルティングファームのインターンに参加し、卒業後、その中の1社に入社しました。経験を積み、最年少でチーフコンサルタントに昇格。会社が運営するSDGsビジネスモデル研究会のリーダーも務めました。

そんなある日、20歳のときに亡くなった父が突如夢の中に現れ「お前の人生はそう長くない」と言いました。ハッとして目が覚め、寝ぼけながらテレビをつけると「もし今日が最後の日だとしたらどうするだろうか」というスティーブ・ジョブズのスピーチが流れてきました。明日が来ることも当たり前ではない。どのように人生の時間を使うべきかいま一度考え直したとき、これまでの人生を通じて自身が向き合ってきた社会課題の解決に残りの人生の時間を使おうと決断をしました。

2021年7月に退職し、翌8月にEMIELD株式会社を立ち上げました。サステナビリティを「理念」「事業」「経営」の一貫したストーリーで結びつけ、企業の価値へと昇華させる伴走支援を提供しています。企業の「パーパス(社会的存在意義)」を再定義し、社員が誇りを持てる組織づくりを支援します 。社会課題解決を起点に、自社の強みを生かした新規事業開発や既存事業の付加価値創造を経営戦略の真ん中に据えるための教育支援などを行っています。2025年12月には、大阪府と事業連携協定を締結し、官民一体となり、「ネイチャーポジティブ(自然再興)経営」を大阪から発信するモデルを推進しています 。

このほかにも、NPOや大学などとパートナーシップで課題解決の枠組みを構築しています。そして、2026年1月には、人と自然の共生を目指した企業向けの共創コミュニティ「Wellbe-Meeting(ウェルビー・ミーティング)」を立ち上げました。1社では解決できない広域課題に対し、参加企業が強みを持ち寄り、具体的な解決策を地域に実装しています 。

これからは、自身が感じてきた課題の解決に時間を使いながら、多くの方に共感を生み、この輪を広げていきたいです。「事業を通じた社会課題の解決で笑みから明日を照らす」を志に、持続可能な社会の実現を目指していきます。


EMIELD株式会社 ホームぺージ

おすすめの記事