衣装を脱ぐ過程で魅せる「バーレスク」
新宿・歌舞伎町の雑居ビルの一角にある、小さなショースペース「AFTER PARTY TOKYO」。ステージと客席の距離は1メートルほど。小島かおりさんはここで「バーレスク」と呼ばれるショーダンスを披露するダンサーだ。
AFTER PARTY TOKYOではパフォーマーたちが交代でほぼ毎晩ショーを披露する。かおりさんは毎週木曜日の夜、ステージに立っている。
現在は「華やかな衣装を着た女性が踊るセクシーなダンス」というイメージが強いバーレスク。しかしその語源は「冗談」や「悪ふざけ」を意味するイタリア語の「Burlesco(ブルレスコ)」であると言われており、16世紀のヨーロッパでは社会を風刺した物語や、劇、歌などのパフォーマンスを総称してバーレスクと呼ばれていた。非常に表現の幅の広いエンターテインメントだと言える。
「AFTER PARTY TOKYOで私が披露しているバーレスクは、基本的には1枚1枚衣装を脱ぎながら、脱ぐ過程を観客に見てもらうパフォーマンスです。バーレスクの表現はダンサーによって千差万別で、人の喜怒哀楽のほか、時には社会風刺が込められることもあります。
衣装を脱ぐダンスというと『ストリップショー』を思い浮かべる人も多いと思いますが、ストリップは『脱いだ後の体』を見せるダンスであるのに対し、バーレスクは『脱いでいく過程』を見せるもの。そこに明確な違いがあります」と、かおりさんは説明する。
かおりさんはそんなバーレスクの世界に魅了され、25歳のときにバーレスクダンサーとして生きていくことを決めた。
「人はなぜ服を脱ぐのか」を考えたかった
3歳からクラシックバレエを習い始め、ダンス衣装に興味を持ったかおりさんは、服飾を学ぶために文化女子大学(現・文化学園大学)の服装学部に進学した。
「衣装と同じくらい世界史が好きだったんです。それで、服飾の歴史を学びたいと考えました」
人類はなぜ衣装を身にまとい始めたのか。その起源から進化の過程を学び、卒業論文ではバレエ衣装「チュチュ」の歴史を研究した。
研究が楽しくなったかおりさんは、そのまま同じ大学の大学院に進学し、さらに服飾に関する知識を深めていった。
修士課程を修了し、地元埼玉県のメガネ店に就職。長く続けていたバレエのレッスンに行けなくなり、働きながらできるダンスはないかとYouTubeで検索した。
そこで見つけたのが、ダンサーのRITA GORDIE(リタ・ゴールディー)さんが踊るバーレスクだった。
「RITAさんのダンスがあまりに美しくて、こんな世界があるんだ! と驚いたんです」
その後、歌舞伎町に移転する前、新宿区・高田馬場にあった「高田馬場After Party」で実施していたポールダンスのレッスンに参加したかおりさんは、たまたまRITAさんと出会う。
RITAさんに「バーレスクをやりませんか?」と声をかけられ、かおりさんは「やります!」と即答した。
ストリップのように全裸になることはなくても、バーレスクは服を脱ぎながら、最終的にペイスティ(乳首を隠すための衣装)とショーツ姿になる。人前で脱ぐことに抵抗はなかったのだろうか。
「脱ぐことに関しては、世界のいろいろなダンスの形態を見ていたので、特に抵抗はなかったですね。それまでの私は『なぜ人は服を着るのか』をさんざん考えてきた人生だったので、その逆を考えてみたくなったんです。
それに、『人の体は綺麗だな』といつも思っていたので、自分自身、どこまでできるかわからないけれど、チャンスをいただいたので体を使った表現に挑戦してみたいと思いました」
3カ月ほどレッスンをした後、かおりさんははじめて高田馬場After Partyのステージに立った。
「『ウエスト・サイド・ストーリー』のマリアをイメージして作った作品でした。緊張しましたね。いま見ると、ここ全然ダメじゃん!と思うことばかり。初々しかったです」
腰を突き出したりお尻や胸を揺らしたりするような基本的な型はあるものの、ダンスの音楽も、それに合わせてどう体を動かすかも、すべてダンサーが考え、表現していく。
どれだけ自分を面白く、あるいは美しく見せられるか。世の中にどんな問題提起ができるのか。いかに自分の理想を出していけるかを考えながら、かおりさんはショーを作っている。
「生意気かもしれませんが、私はお客様に媚びるようなダンスはしたくないと思っているんです。
あなたはこういうダンスが好きなんでしょう? というものではなく、私はこう思っているけれど皆さんはどう思いますか? と問題提起をするようなショーを考えることが多いですね。それをお客様が受け入れてくれて、喜んでくださった瞬間が一番楽しい。あぁ、バーレスクをやっていて良かった、と思います」
かおりさんの友人、さとこさんは、「はじめてかおりさんのダンスを見たときの衝撃が忘れられない」と話す。
「それまではずっと友達としてのかおりさんしか知らなかったのですが、はじめて表現者としてのかおりさんに触れた瞬間でした。彼女が見てきた映画、本、舞台や影響を受けたもの、培ってきた知識がすべてダンスに詰まっていると感じました。感性を解き放ち、花開かせる場所を見つけたんだな、と思ったのをいまでも鮮明に覚えています」(さとこさん)
かおりさんのバーレスクダンスを見て、さとこさんはかおりさんのある言葉を思い出した。
「何の会話だったかは覚えていないのですが、『私、人間の一番美しい姿は裸のときだと思う』と言ったんですよね。その人が持って生まれたものが一番美しい、と。それはすごくかおりさんらしいなと思いましたし、そういう意味でバーレスクは彼女にすごく合っていると感じます」(さとこさん)
かおりさんが魅せられた人の体の美しさ。それを表現するため、彼女は日々自身の体を磨き上げている。
「毎日筋トレをするほか、状況にもよりますが、基本的には月に2~3回、コントーション(軟体芸)のレッスンに通っています。単純に痩せた、太ったというのではなく、筋肉が体のどこについているのか、そのポジションを意識しています。『ここに肉がついた!』というのはすぐにわかりますね(苦笑)。
体のバランスが崩れたらコントーションの先生に見てもらって改善します。バランスが崩れたままダンスをすると、体を壊す原因になってしまうので、それは常に気を付けています」
AFTER PARTY TOKYOのママで、自身もバーレスクダンサーであるLady n@n@(レディナナ)さんは、かおりさんの体づくりについてこう話す。
「とにかく、体が美しいですね。姿勢や筋肉の使い方、立ち方など、ストイックに美的センスを磨いています。彼女の存在そのものに美しさがある。そんな印象を受けています」(Lady n@n@さん)
「人はなぜ服を脱ぐのか」を考えたかった
2020年のコロナ禍から数年、AFTER PARTY TOKYOも休業を余儀なくされ、ショーができない時期が続いた。ショーの配信も試みていたものの、かおりさんは「お客様に忘れられてしまうのではないか」という不安も感じていた。
ダンサーと観客の距離が近いというAFTER PARTY TOKYOの強みは、コロナ禍では逆風になってしまった。休業中、かおりさんは自宅で練習し、衣装を作りながら、「自分にしかできないダンス」を突き詰めていた。
通常営業ができるようになったいま、観客の前で踊れるありがたさ、楽しさをひしひしと感じている。
「AFTER PARTY TOKYOは、ここに来れば何か面白いものが見られるのではないかとお客様に思ってもらえる場所でありたいですね。そして、そうやって来てくださったお客様の期待に応えられる自分でありたいと思っています」
後編では、かおりさんの生い立ちから、彼女のダンスを形作るものは何なのか、ひも解いていく。
(文・尾越まり恵)プロフィール
小島かおりさん
バーレスクダンサー
1988年埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。会社員でパフォーマー。幼少期からクラシックバレエを習い舞台衣裳に惹かれるようになる。高校時代は部活に打ち込んだ青春を過ごす。文化女子大学・文化学園大学大学院で服をなぜ着るのかについて学び考えるが、2015年に高田馬場After Partyにてバーレスクパフォーマーデビューし、現在は「なぜ人は服を脱ぐのか」を真剣に考えている。新宿・歌舞伎町のAFTER PARTY TOKYOで毎週木曜日にステージに立っている。