続・ライフメディア誕生物語。
前編でお伝えした通り、2021年の年明けから、具体的な「法人化への道プロジェクト」がスタートした。
どんな会社にするのか、きしとんとわたしの2人で一緒にする意義は何なのか、どんな事業を展開していくのか……。月1回の定例会で、(お酒を飲みながら)喧々諤々の話し合い。事業内容についてはゼロベースで考えたので、シナリオライティングや文章教室、お悩み相談(笑)まで、いろんなアイデアが出てきた。
この定例会で我々が作ったパワポ資料は、おそらく100枚を軽く超えると思う。
1月の時点で、メディアのイメージはまだこんな漠然としたものだった。
法人って何なの?
そして3月、顧問のきゃし先生にも入ってもらい、新宿の貸会議室で5時間以上に及ぶ初のロング会議を開催。
きゃし先生がまず「法人とは何か」を説明してくれた。
法人とは、人間ではないけれど、法律によって人と同様の権利や義務を持つもの。
「法人格」という言い方をするけれど、1つの人格を持つ「何か」を自分たちは生み出そうとしている。そのことが、強烈なインパクトとしてわたしの心の中に残った。
そして、会社にはさまざまな種類があり、自分たちはその中のどの形態をとるのか。きゃし先生がそれぞれのメリットやデメリットを説明してくれて、情報取得の観点からも、最もメジャーな株式会社がよい、という先生の意見に従い「株式会社」に決めた。
しかし、未上場企業の「株式」というのが、いまひとつピンとこない。
「ねぇねぇ、株券って発行できるの?」
「株券って自分たちでデザインできるの?」
盛り上がるわたしときしとん。
そんなふざけた質問に対してもきゃし先生は丁寧に調べてくれて、後日、「株券はコストや盗難窃盗の観点からも、発行しない場合がほとんどです」と教えてくれた。
ちぇっ。
ライフメディアは役員2人体制の会社だ。わたしときしとんの立場は、同じ取締役。役員をわたしだけにして、きしとんを社員にすることもできたかもしれないけど、雇う側、雇われる側という関係性にしたくなかった。
社員を雇用すると雇用保険や年金など、いろいろ複雑な手続きが発生することも理由の1つだったけれど、一緒に会社を立ち上げる以上は、同じ目線、同じ熱量で、会社やメディアを育てていきたい。きしとんとは、その同志になりたいと思った。
だから、どんな会社やメディアにするか、最初のコンセプトから2人で話し合ってきた。
ただ、最終的な意思決定はわたしがするし、責任もわたしが持つ。その意味で役割としてわたしが代表権を持つことで合意した。
とにかく決めることがいっぱい
3月のロング会議から年末までは、まさにジェットコースターのようだった。
決めなければいけないことが、山のようにあった。
本社の住所をどこにするのか、社印はどこで作るのか、どの銀行で口座を開くのか、会社のクレジットカードはVISAにするかAMEXにするか、会計ソフトは何を使うのか。
小さいことから大きなものまで、日々意思決定を求められた。ライターの仕事もそのまま継続していたから、取材や原稿執筆に追われつつ、法人化準備を進めていかなければならなかった。
さらに、メディアのデザインや要件定義にも着手し、いま振り返っても、わたしの人生の中で5本の指に入るくらいには忙しい時間だったな……。
30代より40代が忙しいなんて、誰も教えてくれなかったよ(涙)。
きしとんはきしとんで、新しい会社の準備と既存の仕事の引継ぎがあり、ふたりでへとへとになっていた。
「分身したい!」
これが、当時のきしとんの口癖。
そんなふたりを横目に、きゃし先生は常に冷静に、的確にタスクを進めてくれた。
わたしが数字の計算を間違えても、きしとんが印鑑を忘れても、いつも同じテンションで、こう言うのだ。
「一歩一歩、前に進んでいきましょう」
botかよ!(笑)と思いながらも、きゃし先生の言葉に、この時期のわたしたちは何度も救われた。
決めることが多々あるなかで、唯一といっていいほど即決できたのが、行動指針だ。
定例会で私が大事にしたいことを素案として出したものだけど、「いいね!」となってそのまま採用された。
いまも月1回の経営会議で(きしとんが)音読する、という儀式を続けている。
この行動指針が先にできて、その後「言葉の力で一人ひとりの人生に寄り添う」という企業理念が決まった。
3年目にして思うけど、「こんな会社にしたい」という思いがいちばん強い創業期に、理念や行動指針を作っておくのは、すごく大事だと思う。
創業後も大変なことが山のように起こるので、そのときにここが原点となるからだ。
一方で、なかなか決まらなかったのが、社名だ。どんな会社かわかるもので、ダサくなく、自分たちらしい名前……。大事なものだからこそ、難航を極める。
迷走しながら病んでいる(笑)。
しびれを切らしたきゃし先生から、会うたびに「そろそろ社名を決めてもらっていいですか」と言われていた。
「まぁ、待たれよ」(きしまり)
「もう、M&N(まりえ&のぞみ)でいいじゃないですか」(きゃし)
「それだけは、絶対にイヤ!!!」(きしとん)
この会話を何度繰り広げたことか(苦笑)。
ようやく社名が決まったのは、設立4カ月前の9月のこと。
2日にわたる2度目のロング会議を開催し、打ち上げの席でワインを飲みながら、「一人ひとりの人生に寄り添う……。メディアをやるんだよね。ライフ、メディア…。ライフメディア?」とわたしがつぶやき、きしとんが「悪くない……いや、いいね!」となって、「ライフメディアにしよう!」と決まった。
酔っていたけど、ドラマチックな瞬間だった。
理解してくれる人は必ずいる
社名が決まったら、できることがたくさんあった。
ドメインの取得、メールアドレスの設定、名刺作成、Slackでのチャット開始……。そりゃきゃし先生もさっさと社名決めろっていうよね、と思った。ごめんね。
社名が決まった後のことで印象に残っているのは、会社とメディアのロゴを依頼したこと。
お願いしたのは、決断物語にも出ていただいたドーナッツデザインの遠島さん。きしとんが「ロゴ専門のデザイナーさんで、ロゴの日(6月5日)に創業してるんです!」と見つけてきてくれて、それを聞いただけで、わたしも「いいね!」と即賛同。
そういうこだわりが好き。
コロナ禍だったけど直接話がしたくて、三軒茶屋のオフィスに訪問。その日は、わりと強めの雨が降っていた。
「こんなメディアにしたいんです!」「こんな会社なんです!」と熱量だけはふたりで伝えられたと思う。その後、遠島さんから最初のデザインが送られてきたとき、わたしはたぶん、電車の中にいた。
ファイルを開いて、決断物語の靴のデザインを見た瞬間、鳥肌が立った。
「これがプロの仕事か!」
わたしたちのつたない説明から、遠島さんは、人生を前向きに歩いていくイメージをロゴで表現してくれた。
それまでいろんな人に起業やメディアの話をしてもほとんど理解してもらえず、否定的な意見ばかり言われていたので、「あぁ、わたしたちのやりたいこと、形にしたい世界観をわかってくれる人がいた……」とちょっと泣いた。
あれは本当に嬉しかったな。
ライフメディアという会社のカラー
2022年、年明けに神田明神にお詣りに行った後、大久保の東京法務局に書類を提出して、ついにライフメディアという法人が誕生した。
結局、振り返ってみるとわたしがしたことといえば、きゃし先生に言われるがまま、大量の書類に手書きで住所や名前を書き続けたことくらいだ(書類、ほんとに早くデジタル化して!)。
メディアの構築も含め、本当に多くの人の助けを得て、ライフメディアは生まれた。支えてくれたみんなには感謝してもしきれない。
会社としては今年3期に突入し、さすがに少し会社っぽくなってきた感じがある。
いまでも得体の知れない人格を世に生み出してしまった感は否めないけれど。
リクルートとか電通とか、世の中には強いカラーを持つ会社がたくさんあって「〇〇っぽい」とみんなが共通のイメージを持っている。もちろんそんな企業ほど強いカラーがあるわけではないけれど、ライフメディアなりのカラーが何となく存在している気がする。
女性役員2人の会社であることも1つのカラーだし、この先もおそらくメディアにしろライティングや編集の仕事にしろ、わたしたちが「ことば」から離れることはないんだろうな、と思う。
ある日突然、不動産を買って金儲けに走ったり、手と心を動かさないストックビジネスに手を出したりすることもないと思う(そのビジネスが悪いと言っているわけではなく、あえてわたしたちがそこに手を出す必要はないという意味で)。
そして、この3年、本当に多くの人に言ってもらえたのは、「なんか楽しそう」という言葉。
それがライフメディアのいちばんのカラーかもしれない。まだまだ生まれたばかりの小さな会社だけど、これからもわくわくを原点に、自由な発想で、好きなことをやっている、そんな会社でありたいなと思う。
思いのほか長文になってしまった。振り返り、終わり!