小川時生

72歳のとき、認定こども園の園長になることを決めました。

中学校卒業時に、風呂上がりのやせ細った父親の体を見て、「これ以上迷惑をかけたくない」と実感。定時制高校に通いながらバスの車掌として働くことを決意しました。運転士として働き始めると、小学生が乗ってくるバス路線を担当していたため、子どもたちが気さくに話しかけてきます。「暑いね」「お弁当には何が入っていたの?」と会話をしているのは楽しくて、「幼稚園のスクールバスの運転士になりたい」と思うように。スクールバス運転士の募集がないか探していたところ、運よく保育園で体操の先生をやってくれないかと誘われ、体操の先生として働き始めることができました。

自分でカリキュラムを考えて子どもたちの運動能力を育てるのはやりがいがあり、何より子どもたちの笑顔に癒やされました。1977年に男性でも保育士の資格が取得できるようになると、早速取得。第1号だったので新聞にも掲載されました。

そこから12年同じ幼稚園でお世話になり、その後、小学校、中学校の教員を経て、また幼稚園で20年間勤務。60歳で定年退職した後は、三重県いなべ市の教育委員会生涯学習課から放課後子供教室をしてほしいという依頼を受け、父親が遺した畑を耕しながら、放課後子供教室で子どもたちと関わってきました。

すると3年前、かつての幼稚園の同僚から新しく認定こども園として移設・リニューアルした保育園があり、保育の内容も変えていきたいから手伝ってほしいと声をかけてもらいました。定年退職したときは「もう幼稚園とかかわることはないだろうな」と思っていたので、自分にそんな話をいただけるのは幼児教育に対するご縁なんだと感じました。管理職という立場で保育の内容にもしっかりかかわっていけることは重要で、これまでずっと「幼稚園がこういう場所だといいな」と思ってきた理想も叶えられるはず。このときわたしは72歳。定年退職後12年のブランクがありましたが、それでも子どもとはずっと関わってきましたし、32年のキャリアもある。やってみようと思いました。

父親の畑を耕すようになって感じていた食育の重要性とかねてより感じていた遊びを重視した幼児教育についてカリキュラムを考え、いまでは先生たちと一緒に農作業しながら子どもたちに種まき、苗植え、収穫を教えています。子どもの笑顔が見られるのがこの仕事の大きな魅力。元気とやる気をもらえますし、保育園や幼稚園でかかわった子が大きくなってばったり出会ったときに思い出話をしてくれるのも本当にうれしく思います。生涯現役でいたい。子どもたちとともに学び、これからも成長していけたらと思っています。

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