茜結

芸能活動とアルバイトで食いつなぐ生活の中、44歳ではじめて、システム会社に正社員として入社することを決めました。

歌を歌うことや「ごっこ遊び」が好きだったわたし。アニメ『幽遊白書』のコエンマ役を演じられていた田中真弓さんの少年っぽい声が、「漫画を読んでいたときの想像を超える声だ!」と感動し、自分も声優になりたいと声優の専門学校へ。卒業後は東京のプロダクションに行く選択肢もありましたが、当時は大阪に在住しており進路に悩んでいたところ、在学中に見に行った舞台演劇にハマって中島らもさんが立ち上げた「リリパットアーミー」という劇団に所属。5年間所属しましたが女性の主要な役どころは客演で外部から呼んでくることが多く、背が低く舞台では子どもに見えることからわたしに任せられるのは、主人公の子ども役などが多かった。暗転時にかかるジャズの格好良さに惹かれ、24歳で音楽の専門学校に入学しました。

その間に2度結婚し、1人目を出産。出産後1カ月後には離婚することとなり、シングルマザーとなりました。派遣やテレアポ、キャンペーンガールのアルバイトをしながらコーラスの仕事を請け負い、子育てに励みました。そんなときに、テレアポのアルバイト先で出会った女性と運命的なものを感じ、お付き合いをすることに。しかしケンカをして別れていたときに付き合った人との間に2人目を妊娠していたことがわかり、女性とよりを戻していたタイミングでしたが、29歳のときに出産を決意しました。

その後もモデル事務所に所属し、深夜番組に出演することができていましたが、より大きな仕事がしたいと考えて吉本興業の養成所へ。3月31日に出産、直後の4月に入学となり、おっぱいが張ってきたらトイレでおっぱいを絞りながら授業に出席するという過酷な2年間を経て、所属オーディションを合格し晴れて吉本に所属。ピン芸人として活動。様々な仕事を経験しましたがネタを考えるのが得意でなく、お芝居の評価が高かったこともあってやはり総合芸能に進もうと決めて事務所を移籍。CM、声の仕事、役者などさまざまな仕事を経て、子どもが中学校に入るタイミングで東京進出を決めました。

その時点ではパートナーの女性と別れ新たな男性と付き合っており、彼の会社では転勤するには婚姻届が必要というので3度目の結婚をしましたが、上京後に結局離婚。バツ3で2人の子どもをもつシングルマザーとしての生活がスタートしました。子ども2人を連れて家を出て、ホテルを転々とする生活をしながら、限られた芸能の仕事と夜の仕事でのアルバイトの日々でした。

40歳を超えたときふと、「バツ3のシングルマザーで、芸能にも特化できずに40歳まで来てしまった」とふさぎ込むように。さらにそのタイミングで父と母が急逝。折り合いの悪い異母兄弟たちとの相続争いやアルバイト先での壮絶なセクハラ・パワハラにも悩み、精神的に不安定になりました。そんなとき、知人から広報の人材を探していて、「芸能の仕事の経験者だとありがたい」という話を聞きました。当時わたしはパソコンも触ったことがありませんでしたし、仕事は接客業しか経験がありません。ですが、競争率の高いオーディションを勝ち取り「踊る! さんま御殿」に出演できたものの次の仕事につながらないという状況の中で芸能の仕事に限界を感じていたこともあり、この「就職への道」という選択肢に、何か運命的なものを感じて44歳でシステム会社への入社を決めました。

はじめはわからないことだらけでしたが、広報の仕事に関する無料のオンライン講座を視聴するなど自力で勉強しながら何とか仕事を覚えていきました。就職するとぽっかりと空いていた穴が埋まった感じがしてメンタルが安定し、人脈も増えてコミュニケーション能力にさらに磨きがかかり、自己PRのスキルも身につけることができましたそうすると自分の本当にやりたかったことも見えてきて、現在は社員からアルバイトに雇用形態を変更し、結婚相談所でカウンセラーとしての仕事も並行して始めています。38歳で上京、44歳で社員へ、と異色の経歴を歩んできた私ですが、どれも自分らしい決断。悔いはありません。これからも自分の信じる道を歩んでいけたらと思っています。

(構成/岸のぞみ)
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