及部一堯

私の決断は、25歳で総合エンターテイナーになると決めたことです。

小学校5年生からバスケットボールを始め、大学に入ってからはアルバイトに明け暮れていました。卒業後は、先輩社員が魅力的だと感じ、NTT西日本へ。入社2カ月後に実業団があることを知り、夏に入団して実業団のバスケットボール選手としても活動しました。ところがその年の冬、脚を骨折して入院することに。病院のスタッフに親切にされたり、会社の人がお見舞いに来てくれたりする非日常の中で、ふと病室を見渡してみると、室内に自分が作ったものが何もないことに気が付きました。ベッドの骨組みである鉄は誰かが採掘して加工し、運んで来てくれたものです。国内外いろんな人のおかげで自分はいま生かされているんだなと感じました。社会に恩返しがしたい。そんな気持ちが芽生えていました。

脚が治ってからは2人組ボーカルユニット・ゆずのライブを見に行って感動。感謝と元気を伝えられるのは音楽しかない! と考えて、プライベートでシンガーソングライターとしての活動を始めました。地域の介護施設やイベントを回る中で、世の中には耳の聞こえない人もいて、音楽だけではみんなを喜ばせることができないことを痛感。そこで人を笑顔にするために、マジックやジャグリングを覚えるようになりました。

エンターテイナーとは、人を笑顔にする人。そして人を笑顔にする手段はたくさんあったほうがいい――。

25歳、2010年に総合エンターテイナーになろうと決意。さまざまなパフォーマンスを学ぶだけではなく、異業種交流会の主催、国際支援活動やNPO・NGO活動にも参加するようになりました。しかし、あるとき「及部さんのやっていることは点だよね」と言った人がいました。国際支援活動でマジックを披露して誰かが喜んでくれても、洪水で壊れた家が直るわけではありません。その後、カンボジアのある村でインターンシップを行い、日本語を教えたり、新しいプロダクトを考えたり、日本に戻ってからは井戸の寄付活動をしたり、村の経済活性化に向けてさまざまな取り組みをしましたが、結局ゼロから何かを生み出すことはできなかった。大きな挫折を感じました。

社長に頭を下げても、なかなか井戸を寄付してもらえない……。誰かに頼って寄付してもらうのではなく、まずは自分の実力を高めるべきではないか――?

世界中の人に元気と夢を与え「続ける」人になるということは、その場だけではなく、継続した支援ができること、すなわち経済活性化にも貢献できる人になるということです。その最終的な目標が変わるわけではありませんが、「ゼロからイチを生み出せる人になる」「自分の力で社会に貢献する」とビジョンを設定し直し、2012年に希望を出して新規事業部に異動しました。2014年にレクリエーション介護士の資格を取得し、総合エンターテイナーとしての介護施設経験と掛け合わせ、介護レクリエーションサポートサービスなどを開発。自分で得た知識・人脈・経験が社会と社内に還元できたことや、会社で開発したサービスが誰かに喜んでもらえることに、ビジネスの本質・面白さ・手ごたえを感じました。

その後は、地域社員が新規事業創出に挑戦するための仕組み「HEROES PROJECT」を立ち上げ、2022年にはオープンイノベーション施設「QUINTBRIDGE」を開設。新規事業創出やまちづくりの支援などを手掛ける株式会社パラレルパートナーズも立ち上げました。2024年には、NTT西日本グループに在籍しながら自分のように越境活動に挑戦する人たちを称賛する総務人事部長表彰「 E-1グランプリ」という制度を立ち上げました。越境活動を応援するとともに、人と人、人とサービスなどを結び付けながらさまざまな社会課題を解決するための仕組みづくりにも力を入れています。

入社して5年目までは大企業で働いていること自体がつまらないと感じることも多く、「自分のやりたいことは社内では実現できない」と感じていました。いまも多くの大企業でそのような悩みを抱える優秀な社員は数多くいることでしょう。そんな人たちに向けて越境活動を推奨していくことで、彼らのやりがいを引き出し、同時に越境活動で得た知識を会社や社会に還元するための仕組みをより一層整えていきたいと考えています。

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