私の決断は、28歳のときに歯科衛生士としてホワイトニング専門の歯科医院を立ち上げたことです。
中学生の頃は家庭の借金や親の離婚などがあり、多感な時期を複雑な環境で過ごしました。高校1年生になると祖母の通っていた歯科医院でアルバイトを始めます。私は「女性が生きていくためには資格が必要」と考え、17時からは歯科医院、19時からは飲食店でアルバイトをして学費を貯め、高校卒業後に奈良歯科衛生士専門学校に進学。卒業後に国家資格を取得しました。
20歳のとき一般歯科で働き始めてすぐ、個人事業主だった父親の2度目の借金が発覚します。奨学金を返しながら、父親の借金も払わねばならず、昼は一般歯科、夜もアルバイトをして働き始めました。働いていて楽しいという感情はなく、衛生士になった意味も見い出せない。親のことも苦しい、切羽詰まった時期でした。
そんな時期に、お世話になっていた先輩の女性に誘われ、「アチーブメント」という勉強会に参加することを決めました。当時の月給額に相当する20万円の勉強会費用でしたが、そこで自分の夢、目標、時間とお金の使い方について学ぶことができました。「親も借金も、自分に何の制限もなかったら何がしたい?」。そう聞かれて、ハッとしました。
――もし、あらゆる制限がないのだとしたら、私は28歳までに歯科医院を開業したい。
衛生士という資格への劣等感や家庭の事情、自信のなさなどが相まってそれまで見えていなかったけれど、勉強会でやりたいことが明確になった私は、実績を積むために大手ホワイトニングチェーンへ転職。
勉強会で教わった例え話として、「もし8年後に1億円の豪邸に住めると思えたら、いま四畳半のアパートに住むことができるか」との問いに対して、私は挑戦できるという覚悟も持てました。このように、長期視点を持ち、目標設定をすることができたので、28歳になるまでの7~8年の時間があれば大きなことを成し遂げられる。そんな確信を持てるようになっていました。
2013年からはフリーランスに転向。3つの医院を掛け持ちしながら技術指導に当たり、医院の経営改善を支援した経験を経て、2014年にホワイトニング専門の歯科医院を運営する株式会社ボーテを設立しました。開業後の10年はまさに「山あり谷あり」どころか「谷あり谷あり」といった日々。そもそも運転資金0、10月に開業して12月に800万円を支払わないと廃業という崖っぷちも経験。
また、信頼していた創業メンバーが急に退職するなど不運も重なりました。しかしギリギリながらもすべて自身でカウンセリングし、丁寧に接客。9割を超えるリピート率を維持し、9か月で早くも1.5倍の売り上げへと成長させることに成功しました。当時ホワイトニングを専門に扱う歯科医院は珍しく、流行の兆しがあったことも経営状況の改善に大きく寄与しました。
現在、歯科を開業するという目標を達成し、11年で6店舗の展開に成功しています。
スタッフを育成して店舗を任せ、ここまで拡大してくることができました。スタッフにも「なりたい自分像」を明確にし、理想を実現する場所にしてもらいたいと思っています。
「歯科衛生士がきりもりする歯科医院」として、歯科衛生士の地位向上にも貢献していきたいですし、誰かのために生きて頑張っているけれど、自分の経済や夢を後回しにしているような女性のためにも、仕事も家庭もぜんぶ得るロールモデルを提供していきたい。
3年でサロンを開業できると謳っているのもそれが理由で、個人でそうなるだけでなく、自立した働く女性リーダーの集団を作っていきたいと思っています。
うまくいっている人を見かけたら、「あの人はそういうOSがインストールされている人、自分とは違う」と思う方もいるでしょう。実際、私自身も思ってきました。いまでも講演をすると、「恵まれた環境で育ってきたからそんなことが言えるんですね」と言われることもあります。でもまったくそんなことはありません。その種は誰でも持っています。事業を通して、それをもっと多くの方々に伝えていくことができたらと思っています。
株式会社ボーテ ホームぺージ