神野さんショート

2012年、東日本大震災の翌年に宮城県石巻市で定食屋「楓楸栞(ふうしゅうかん)」を開業しました。

震災前までは、仕出し店で法事用などに料理を作りお届けする仕事をしていました。20歳で就職して、いつか自分のお店を持ちたいと思いながら、気が付けば12年。
「石巻で飲食店なんかやっても、人は来ないよ」という周囲の言葉もあり、なかなか思い切れずにいました。

そんなときに起こった東日本大震災。翌日の土曜日には法事の予約がたくさん入っていて、ちょうど仕込みをしていました。これまで経験したことのない大きな揺れと大津波警報に「これはまずい」と、すぐに職場を離れ、娘たちを連れて急いで山の上に避難しました。調理中だったので、半袖のコック服にサンダルです。雪がちらついていて、寒さに体が震えました。逃げた山の上から、数時間前まで自分がいた職場が流されていくのが見えました。

自宅も流されたものの、幸いにも家族は全員無事。まずは1年くらい生活を整えながら、この先のことを考えました。仕出し店への再就職も考えたのですが、どこも経営状況は厳しい。それなら長年の夢だった飲食店をやろう、と決意。お米に合うメニューが多かったため、妻の提案で定食屋にしました。

震災は、開業と同時に、それまでの考え方を大きく変えるきっかけにもなりました。私は石巻市で生まれ育ち、ほかの地域を知りません。石巻以外の人間からは壁を作り、理解しようとしてこなかった。震災後にボランティアの人が来ても、積極的に関わることを避けていました。
でも、それを変えてくれたのが、世界中でボランティア活動をしている1人の女性でした。彼女は私の話をただ静かに聞いてくれました。石巻には家族を失った人も多く、それまで誰にも吐けなかった弱音を、はじめて口にすることができたのです。彼女が見てきたさまざまな国の話を聞き、自分がいかに閉ざされた世界にいたのかに気づかされました。

――いままでの自分は、なんてつまらない考えを持って生きてきたんだろう。

閉鎖的だった性格がそこからガラっと変わりました。人生が、楽しくなった。

そんな気持ちの変化が、飲食店経営にもいい影響を与えていると思います。開店当初は賃貸だったお店も、2017年には自宅兼店舗として自分の土地とお店を持つことができました。県外から多くの人が、名物の唐揚げを食べに来てくれます。逆風だと言われていた飲食店経営が、震災を機に追い風に変わった。
震災から12年、多くの人に助けられてきたこと、自分が生かされていることを忘れたことはありません。これからも、人に関心を持ち、感謝しながら生きていきたいと思います。

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