安斎寛之

19歳のとき、勤めていた老舗日本料理店を辞め、料理人からエンジニアになることを決めました。

小学1年生からおやつにラーメンを食べるほど、食べることが大好きだった私。ひたすら食べるのが好きだったので、自然と料理作りにも興味を持つようになりました。はじめてキッチンに立ったのは小学2年生のときのこと。料理番組を見ながら母親と一緒につみれの磯辺揚げを作りました。大叔母さんが給食調理員だったことから、朝登校してすぐ給食室の前に行き、小窓から調理の様子を眺めるのも好きでした。

祖父母から「手に職をつけろ」と言われていたこともあり、高校3年生の頃に好きだった調理の道を目指すことを決断。調理師専門学校に進学し、在学中から日本料理の老舗企業でアルバイトを始めました。調理師資格を取得し、そのままインターンを経て入社。入社式では新入社員200人の代表としてあいさつまでしました。

いざ働いてみると、好きな料理の道ということもあり働きがいはあるものの、勤務時間のわりには給料事情が厳しく福利厚生も充実しているとはいいがたい状況でした。周囲の人々は「いつか自分の店を持つ」という目標を持って修業していましたが、自分は将来の希望もなく何かが違うと感じ、ヒントを探すため休憩時間にビジネス書を読み漁るように。ちょうどスティーブ・ジョブス 氏の書籍などがベストセラーになっていた時期で、さまざまな書籍を読み進めるうちに影響され、「自分もこんなふうになれるのではないか」「キャリアを大きく変更するなら若いうちがいいのではないか」と感じるようになり、入社半年ほどで退職を決意しました。

IT系の資格取得ができると謳っていた渋谷のIT会社に転職し、1カ月でネットワーク系の資格であるCCNA(Cisco Certified Network Associate)を取得。その後、大学の情報システム部門でサーバー周りの仕事に従事することになったため、さらにその上位資格であるCCNP(Cisco Certified Network Professional)やLPIC(エルピック/現・LinuC:リナック)のレベル3を取得しました。さらにデータセンターでのサーバー設計・構築・運用経験を経てパブリッククラウドでのSI案件にアサインされ、AWS(Amazon Web Services)に触れました。はじめて触ったときはもともとオンプレミスを知っていたのでAWSはなんて便利なんだろうという印象を持ちました。業務に従事するには知識を身に着ける必要があると考えたので、AWSの資格取得に励み、技術を身に着けていきました。

2019年、お客様から直接仕事を請け負う、いわゆる一次請けの企業で働きたいと考えて富士ソフトに転職。パブリッククラウドの設計・構築・運用、ソリューション提案やトラブル対応の支援、後進の教育プログラム検討まで幅広く担当しています。技術力の向上を目指してAWS関連の資格を取得し、2021~2023年 にはJapan AWS Top Engineersに3年連続選出、2022~2023年には2年連続 AWS Ambassadorsに選ばれるなど、18歳のときに決めた「手に職をつける」道を順調に進むことができています。

富士ソフトではPALRO(パルロ)という身長40cmのコミュニケーションロボットを製造・販売しています。私は将来的には、映画『アイアンマン 』に出てくる人間の大きさの自律型ロボットを作りたいと思っています。お年寄りを介護したり、空を飛んで被災地支援に向かったりできるロボットがいれば、きっと助かる人がたくさんいます。調理師というキャリアからはまったく異なる道を選んだ自分ですが、これからも柔軟に自分らしく、信じる道を突き進んでいきたいと思います。今年の春から社会人大学生となり経済の勉強もしているので、ビジネスとテクノロジーの両輪でアイデアを創出していきたいと考えています。

(構成/岸のぞみ)

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