高田さんショート

高校を卒業後、大学に進学せず起業する道を選びました。

生まれは大阪府箕面市。勉強はしないし、素直じゃない。いま振り返ってもあまりいい子ではありませんでした。ただ、周囲が何と言おうとも、自分がいいと思ったことをまっすぐやり続ける性格は、子どもの頃から変わっていないと思います。

人生の転機は中学2年生のとき。父が重度のヘルニアを患い、勤めていた会社をリストラされてしまったのです。自分が長男で、兄弟は4人。父の収入が絶たれ、家族の生活は困窮します。その頃から「とにかくお金に困らない人生を送りたい」という思いが強くなっていきました。母親の家業が植木屋だったので、あわよくばそこで働かせてもらおうと考えて、公立の園芸高校に進学。学校以外の時間はアルバイトを掛け持ちして奨学金を利用しながら通いました。

卒業後、大学に進学することはまったく考えませんでした。アルバイト先の大手中古車販売ガリバーのフランチャイズ店で働き続け、オーナーの勧めで独立することに。当時はビジネスの知識なんてありませんから、「決断」というよりは、流されるままと言ったほうが正確だと思います。
高校を卒業した翌年の1999年4月21日に有限会社を設立。それが現在のまらねろモータースグループの1つ、株式会社リ・レストフルの前身となる会社です。いまでこそ資本金1円から会社を起こせますが、当時は300万円ほどが必要だったので、アルバイトで必死に貯めた500万円から資本金を捻出しました。

その後、4店舗まで拡大し売り上げは30億円ほどに成長しました。しかし、フランチャイズシステムに依存するビジネスにリスクを感じて26歳でフランチャイズ契約を解除。親会社の看板を失った私に残ったものは、中古車リースのノウハウだけでした。

売り上げは大きく下がりましたが、保険会社向けのリース業に専念してゼロからまた事業を大きくしていきました。2013年にはまらねろレンタリース株式会社を設立し、事故代車のリースだけでなく個人向けに宅配レンタカーの事業もスタート。少量の引越しや子連れでの買い物のために自宅まで車を届けてほしい、あるいは大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンの前のホテルまで車を届け、帰りは伊丹空港で乗り捨てたいなど、さまざまなニーズに応えられるビジネスです。グループの総称「まらねろモータース」はいま業界内の知名度はかなり高くなったと自負しており、自分でブランドを作っていく楽しさを実感しています。

起業して25年。経営者として大変なこともたくさんありましたが、自分にはこの道しかありませんし、生まれ変わってもまた同じ選択をします。
経営は京セラの創業者・稲盛和夫氏の「盛和塾」で学びました。20代の頃は「利己」的な経営をしていた自分が、稲盛さんのおかげで「利他」の精神を知ることができました。稲盛さんの教えに従い、これからも着実に事業を成長させ、しっかり納税し、社会に貢献できる会社にしていきます。

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