加賀史穂理

27歳のとき、レースクイーンを辞め、一般企業に就職。広報として働き始めました。

秋田県の田舎町、山々に囲まれた大自然の中でのびのび育ちました。一方、両親は教育熱心でピアノ、書道、水泳、英会話など習いごとも多く、バスケと陸上で部活動を掛け持ちするなど忙しい子ども時代を過ごしました。中・高生になると東京への憧れが強まり、「都会に行きたい!」と東京の大学へ進学。そんなある日、渋谷で友人と待ち合わせをしていると、「アルバイトをしてみない?」と知らない女性から声をかけられました。地方から出てきて世間知らずだった当時の私には「こわい」とか「騙される」といった考えは浮かばず、誘われるまま、その女性についていきました。それがたまたまモデル事務所のスカウトだったのです。

事務所では案件ごとにエントリーし、オーディションを受けて仕事を取っていくというスタイルで、1カ月の予定を自由に決められることはとても性に合っていると感じました。地方のフリーペーパーのモデルの仕事から始まって、展示会のコンパニオンやキャンペーンガールなどさまざまな仕事を請け負ううちにレースクイーンの仕事が増加。広告塔としてチームの紹介をしたり、レースイベントのピットウォークに出演したり、秋田訛(なま)りを矯正してラジオMCの仕事をしたりと忙しく働きました。大学卒業後もモデル活動を継続し、「全日本ロードレース選手権」「8時間耐久ロードレース」などでレースクイーンとして働きました。

ところがモデルは若手のほうが活躍の機会が多い世界。20代後半になってくると仕事の数も限られてきます。先輩もどんどん卒業していきますし、実家からの圧力も感じました(笑)。私自身も芸能人として生きていきたいわけではなかったため、新しい道を探すことを決意。とはいっても、会社員経験も一般的なアルバイト経験もありません。美容サロン経営や専業主婦などを選ぶ先輩たちが多かった中で、「どうせだったら人とは違う新しいことをやってみよう!」と心に決めました。

東京にいるとずるずる似たような仕事をしてしまいそうだと感じ、心機一転、関西移住を決断。レースクイーン時代にチームが使用していたバイクメーカーKawasakiのお膝元である兵庫県明石市へ移住しました。そこで家から近く「やったことがないことに挑戦してみよう」という社風の三陽工業に入社を決めました。三陽工業はかつて所属していたチームが使用していたバイク・Kawasakiの受託企業で縁もあり、オーディションで培った自己プロデュース力やアピール力を高く評価していただくことができたのでした。

入社後はSNSマーケティングや撮影技術、イラスト作成などを学び、通常外部委託することの多い広告制作や各種式典の写真撮影など幅広い業務をこなすことができるように。当初は月に50~60万円稼げていたレースクイーン時代と比べて給与面などで落ち込むこともありましたが、「続ける」ことに挑戦し続けた結果、SNSの総インプレッション数は4000万を突破。TikTokアカウント開設から2年で3倍の新卒採用数を実現するなど手ごたえを感じることができました。いまでは社会人経験0から「スーパー広報」と呼ばれるまでになり、2025年で勤続8年目に突入。社歌の作り直しプロジェクトでは歌い手さんを募ってホテルを貸し切り、「歌ってみたコンテスト」を開催して配信するなど、面白い企画も多数手がけることができました。

「レースクイーンからでも企業で会社員として活躍できる」という背中を見せていきたいし、広報部の規模ももっと大きくしていきたい。これからもさまざまな新しいことに挑戦していきたいと思います。


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