中嶋夏月

脳科学者・茂木健一郎さんに会うために片道切符を握りしめて京都に行ったことで人生が激変。ストリートマジシャンから日本文化伝承協会の事務局長に転身しました。

10歳のとき、好きだった女の子を振り向かせたくてマジックを始めました。道具を買いそろえて練習を重ねたおかげで、学校や路上で披露できるほどの腕前に上達。一方で学歴至上主義でもあった僕は、進学校の奈良市立一条高校に入学。東京大学を目指して猛勉強し、学年主席を常にキープするため努力を続けていました。しかし滑り止めも受けずにそのまま東京大学を受験したところ、見事に失敗。そのまま浪人生活が始まり、8月頃までは駿台予備校に通っていましたが、模試の結果はいつも「E判定」。「このまま続けていても仕方ない」と考えるようになりました。

そんなとき、「学歴なんて関係ない」「いい学校に行っても仕方ない」とSNSでよく発言していた茂木健一郎さんの存在を知りました。「学歴なんて意味がない」という茂木さんは東京大学出身の脳科学者です。この先、自分がどうしていいかわからなくなり、2019年9月頃から「お話を聞かせてほしい」というDMを100件ほど送り続けましたが、もちろん返信はなし。あるとき、京都で講演会があることを知り、700円の片道切符を握りしめて講演会場に向かいました。

正直どんな講演でテーマは何だったのか、いまとなっては覚えていませんが、いちばん前に座っていた10代の僕は茂木さんの目に真新しく映ったのか、最後の質疑応答の時間に手を挙げると、見事に発言権をいただくことができました。「いつもDMしていた者です」と名乗ると「お前か!」と面白がってくださり、300人ほどが詰めかけていた講演会場の壇上に上げていただきました。「質問は何?」と聞かれた僕は「質問はありません」と言い、「その代わり、僕を開発してください!」と言って土下座しました。茂木さんはもちろん300人の観客も呆気にとられていましたが、茂木さんはその突拍子もない行動を面白いと思ってくださったのか、その後に開催される予定の懇親会会場に僕を呼んでくださり、そこでまた少しお話をすることができました。懇親会も終わりに差し掛かった頃、「帰りはどうするの?」と聞かれて「帰りの切符代は持っていません」と答えると、茂木さんはまた目を丸くして、1万円札を渡してくれました。

後日、新大阪・東京間の新幹線往復チケットと「東京に会いにおいで」という旨の手紙、現金5万円が同封された封筒が僕の自宅に届きました。19歳の終わり、僕は茂木さんからの手紙を握りしめて東京に向かいました。

東京ではさまざまな懇親会や茂木さんが運営するゼミに参加させていただき、そのときのご縁で現在勤めているVirginGroupや、設立に携わって事務局長を務める一般社団法人日本文化伝承協会に所属することができました。

現在は日本文化伝承協会にて、日本文化に触れてもらうための1つの手段として、巫女体験や巫女検定などの取り組みに力を入れています。

あのとき茂木さんに出会えていなかったらこの場所にたどり着くことはなかったでしょう。向こう見ずで突飛な行動でしたが、勇気を出して茂木さんに会いに行ってよかった。運命を切り開けたと思っていますし、茂木さんにとても感謝しています。


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