加藤正人

ドイツピアノ製造マイスターの資格を取得するため、27歳のときにドイツに行くことを決意しました。

通っていた高校は進学校で勉強が得意な友人が多い中、「自分のアイデンティティを生かすことができて、かつ友達に負けない何か」を探すようになりました。そこで好きだった物理や数学、習っていたピアノの技術を生かせる調律師という職業があることを知りました。理系クラスで唯一音大を目指すという選択に「加藤、狂った?」とまで言われましたが、試験科目には私の得意な物理もあり、ピアノの構造や設計も学べて音楽にも携われる仕事は私にとってとても魅力的なものでした。音楽理論や音大受験のための勉強を開始し、無事に国立音楽大学の調律科に合格。卒業後は楽器店勤務を経て、放送局の楽器のメンテナンスに携わる会社に転職。「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」などで松田聖子さんや中森明菜さんなど、歌謡曲スターのバックバンドが使うスタジオのピアノのメンテナンスやコンサート調律などを主に担当しました。

そんなある日、ドイツのクラシックミュージシャンが来日するというのでいつものように上司とスタジオでスタンバイしていると、そのミュージシャンはツアー用のコンサートピアノと調律師を自前で用意しており、私たちはスタジオに入ることさえ許されませんでした。このときはじめて、「ピアノに携わる技術者でありながら自分は二流なんだ」と大きな挫折感を味わった私は、本場で技術を学び直そうと渡独を決意したのでした。

現地のピアノメーカーで働きながら3年ほどかけて語学を習得し、ドイツピアノ製造マイスターの試験の準備学校に通い始めました。ドイツピアノ製造マイスターの試験では、工房経営のための簿記や法律、労働教育学などの筆記試験のほかに、音響学や静力学などの構造設計、指数関数や三角関数などの数学や物理学、木材や金属といった材料学、そして木工では機械を一切使わずすべて手仕事で1週間かけてピアノ1台を作り上げるというピアノ製造の実技テストがあります。1人でピアノが作れるようになるまでマイスターのもとに弟子入りして修業をするのですが、これがまた大変な毎日でした。まず取り組むように言われたのは、木材を倉庫に積む作業。10代のドイツ人に混ざって「お前」呼ばわりされ、手に血豆を作りながら木材について学ぶ日々はつらいものでしたが、木材の積み方によって乾燥の仕方、反り方が変わって音に影響することなどを学べる非常に貴重な機会となり、その後、かんなやのこぎりの使い方を身に着け、31歳のときにドイツピアノ製造マイスターの国家資格を取得しました。4年半かけての取得で、本当にうれしかったことを覚えています。

その後、ピアノメーカー・ベヒシュタインの技術職として入社し、7年前に日本法人の代表取締役に就任。148万円のアップライトピアノから2970万円のコンサートグランドピアノまでを取り扱っています。ピアノは高級であればいいとか材料がよければいいというものではありません。どんな曲をどのように表現したいのか? そのためにはどんな音を届ける必要があるのかを考え、それに見合ったピアノを探すことが大切なのです。これからもヨーロッパのピアノづくりの本質を1人でも多くの人に伝えていけたらと思っています。

(構成/岸のぞみ)

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