創業物語前編

早いもので、ライフメディアを立ち上げて2年半が経ちました。「なぜ法人化したのですか?」と聞かれることも多く、今日はライフメディアがどのようにして生まれたのか、振り返ってみたいと思います。

法人を作った理由は、いくつかあります。

10年スパンで新しい挑戦を

1つめの理由は、わたし個人のキャリアの変化によるものです。わたしは2011年に約10年勤めたリクルートの制作会社を退職し、10年間フリーライターとして働いてきました。
フリーランスが法人化する理由として一番多いのは、「節税対策」。だいたい年収1000万円を超すと、法人化したほうが節税メリットがあると言われています。

ただ、わたしは10年間ざっくり白色申告をしてきたような人間で、そもそも1000万円なんて稼いでいなかったので、節税対策とはほぼ無縁。

わたしはもともと会社員時代には文章を書く仕事はしておらず、無謀にも実績ゼロでフリーライターになりました。そのため、最初の4年ほどはまったく生活できませんでした。その苦労話を話し出すと長くなるので割愛しますが、5年目くらいからようやく食べていけるようになり、7年が経つ頃には月刊誌の連載などの定期の仕事でそれなりに安定した生活ができるようになっていました。

そうなると、「あれ? なんか成長してなくない?」という頭打ち感が出てくる。
そもそも、性格的に停滞や現状維持が苦手なんだと思う。

さらに、8~9年目になると実力がついて単価も上がり、スピード的にもかなりの本数をこなせるようになっていた。そうすると、フリーライターとして稼げるのは、これがマックスだろうな、と収入の限界が見えてくる。
別にそのまま続けても生きていけるけれど、50代になってもこうして毎日毎日締め切りに追われ、マシーンのように本数をこなす生活を続けるのだろうか……。
30代は必死にライターの道を切り開いてきた。
ライターの仕事は好きで、ずっと文章を書いていたいからこそ、40代は何か違う展開に挑戦してみたい。そう考えたのが、1つ目の理由です。

創業物語1
なんかカッコいいこと言ってる(笑)。

運命の出会い? 相棒きしとんの存在

もう1つ大きな理由は、いまライフメディアを一緒に経営している相棒、きしとんの存在です。

きしとんとは2011年、企業のタイアップ出版を専門とするビジネス書の編集部で出会いました。わたしがリクルートを辞めてすぐ、業務委託としてお世話になっていたときに、数カ月遅れてきしとんが入社してきたんです。

そのとき、きしとんは26歳とか? 若い!! かわいかったんですよ(もちろん、いまもかわいい♡)。
1年半くらい一緒に働いたのですが、そのときの記憶といえば、もっぱら八重洲の立ち飲み屋で飲んだレモンサワー。仕事より飲んでいた時間の方が長かったかも(笑)。

コピー機のトナー替えを失敗して全身カラフルなインクまみれになったこともあったし、若かりしきしとんは頼りないところもありながら、朝早くから夜遅くまで働き、並々ならぬ根性を見せた。一見ふんわりと柔らかい感じなのに、目が覚めるような文章を書く。その絶妙なバランスの悪さが面白いなと思いました(褒めてる)。

わたしが会社を離れた後も、きしとんとは定期的に飲みに行き、近況報告などをしながら、「いつか一緒に何かやれたらいいね」と話していました。

お互い私生活でもいろいろあって(笑)それなりに年齢も経験も重ね、きしとんの仕事の節目と、わたしが40代になる節目が重なって、
「なんか、いまなんじゃね?」
という雰囲気になっていった。

4月にLongStoryに出ていただいた鮨竹の三好史恵さんが独立のタイミングを「風が吹く」と表現されていましたが、まさにそんな感じ。

そのときは2人の共通のスキルである編集やライティングに関する何かをするのだろう、と漠然と考えていました。お互いフリーランスとして活動しながら、ユニットのように活動するのもいいな、と。
ただ、どうせ2人でやるなら、出版社などから仕事を受けて書く、受託のライティングだけでなく、「自分たちで媒体を持ち、企画していきたいね(業界の言葉でいうと、版元になりたいね)」というのは話していました。
サービスを生み出すのであれば、法人というハコがあったほうがやりやすいのかも。でも、よくわからない……。

そんな2020年。

きゃし先生登場

そこに登場したのが、いま社外顧問としてライフメディアをサポートしてくれている、きゃし先生です。
彼はわたしときしとんの共通の友人で、たまたま3人で話していたときに「会社をつくるなら手伝いますよ」と言ってくれたんです。

大手メーカーで財務や経営企画などに携わっていて、数字関連全般に精通している。ただ、「法人設立は経験がないから、やってみたかったんですよね」と。ちょうど税理士資格も取得しようとしているタイミングでした。

そんな大がかりにしなくてもいいけどな。法人とかよくわからないけどな。わたし社長になるのかな、大丈夫かな。
迷いながらも、「きゃし先生がそう言うなら……」という気持ちになってきた。
でも、どうやったら会社を作れるのか、全然わかっていなかったから、「先生、お任せします!」というノリだった。

その後、法人化手続きの本を1~2冊読んで、YouTubeでいくつかの解説動画を見たきゃし先生は言ったのです。

「だいたいわかりました」

そ、そうですか…(笑)!
天才を前に、わたしときしとんが絶句したこの瞬間のことは、いまでも忘れられません。

こうして2021年、コロナ禍真っただ中に「M&N(仮)(←社名が決まるまでのクソださいユニット名。まりえ&のぞみの略w)法人化への道プロジェクト」が始まったのでした。

つづく。

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