石嶺さんショート

出産を機に「助産師になろう!」と決意し、30歳で資格を取得しました。

結婚するまでは医療事務や栄養士として働き、21歳で結婚してからは、夫が経営する会社の経理を担当していました。
子どもがほしいと思っていたもののなかなか授からず、子宮内膜症もあったので、不妊治療をして、26歳で子どもを授かりました。

妊娠・出産のプロセスで生殖医療に触れたことで、「助産師になりたい!」という強い思いが芽生えました。とはいえ、どうしたら助産師になれるのかわかりません。インターネットで調べてみたところ、助産師になるには看護師免許が必要であることがわかりました。
何とか最短ルートで助産師になれる道はないかとひたすら調べていくと、家の近くの大学病院に助産師専攻科があり、看護学科で3年間学んだ後、成績上位の6名だけ、そのまま助産師専攻科に推薦で進める制度があったのです。

――もう、ここに行くしかない!

狙いを定めて予備校に通い、誰にも言わずに受験しました。これは私の挑戦であり、「受からなかったら縁がなかったと思おう。受験は1回だけ」と決めていました。

その結果、見事合格! しかし、ここからが戦いの始まりでした。まずは夫に報告し「どうしても挑戦してみたい」という気持ちをぶつけたところ、最初はかなり驚かれましたが、「いまの仕事を続けながら通えるなら」という条件で賛成してもらいました。

学校の授業は17時に終わりますが、その後で実習のためのグループワークなどがあり、帰るのは20~21時くらいになることも。まだ1歳の子どもを一度保育園に迎えに行き、おんぶをしながらグループワークに参加していました。
私のゴールは助産師になることなので、130人中6位以内に入り、助産師専攻科の推薦を勝ち取らなければなりません。一般受験となると、倍率が一気に上がり助産師専攻科に進むハードルが一気に上がるからです。

土日も図書館に通い、ひたすら勉強して、何とか推薦で助産師専攻科に進めることになりました。助産師専攻科では、10例のお産に立ち会わなければなりませんでした。いつ生まれるか分からないので病院に泊まり込みで、お風呂に入るためだけに家に帰るような生活をしていたので、周囲からは重篤な病気でずっと病院にいるのだと心配されていたようです。
家族総出で協力してくれたからできたことで、それを無駄にしてはならない。多くを犠牲にしてきたからこそ、「絶対に助産師にならなければ!」という思いで、この大変な時期を乗り越えました。

こうして目標通り最短期間で卒業し、30歳で助産師になりました。大学病院で助産師として働いた後は自治体の保健センターで新生児訪問や育児相談を請け負いました。 そして2015年に産後ケア事業を中心としたミキズハウス助産院を開業。この10年で1800人の新生児訪問と、5400人以上の乳幼児健診、保健指導をしてきました。その中で、ママたちが特に、フェムケア、思春期性教育、男の子の性器ケア(オムケア)に悩んでいることがわかりました。そこで、主に助産師向けにこの3本柱で指導をする協会を2021年に立ち上げ、講座を運営しています。これまでに85人の講師を育成しました。

助産師資格を取得するまでの道のりは本当に大変なものでしたが、助産師の資格があるからこそ、講師養成事業を展開したり、講演をさせてもらったり、絵本を出版したりと世界を大きく広げることができました。助産師の資格があることで、発信内容にも説得力を持たせることができています。これからも、より多くの方にフェムケア、オムケアの正しい知識を伝えていきたいと思います。

(構成/尾越まり恵)

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