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税理士・公認会計士として主に創業期の企業を税務の面からサポートしている佐久間元気さん。20歳のときに「公認会計士になろう」と決め、資格試験の勉強を始めました。なぜ公認会計士になろうと思ったのか、どのように資格試験の勉強を進めたのか、また、今後どのように事業を展開していくのか、話を聞きました。

――佐久間さんの人生の決断について、教えてください。

20歳の誕生日を迎えた直後に、公認会計士の資格を取ろうと決めたことです。「もう20歳だな」と思って、そこから真剣に将来について考えたんです。大学の同級生たちはインターンシップに参加したり、就職活動を始めたりするタイミングで、僕はここで資格試験の勉強に振り切りました。その段階で、会計士になったら早い段階で独立することも決めていました。

――なぜ公認会計士になろうと思ったのですか?

もともと数学は得意でしたが、特別好きかと言われるとそこまでではありませんでした。子どもの頃はサッカーやゲームばかりしていて、勉強はあまり好きではなかったんです。でも受験勉強は頑張って、高校は地元・大阪の進学校に入学しました。でも、大学受験は行きたかった大学に全部落ちてしまって、センター利用でたまたま合格できた中央大学に進学することにしました。

その頃まで、将来の夢など特になかったんですよ。父がわりとお堅い企業の会社員で、朝から夜遅くまで働いているのを見ていたので、できれば自分は会社員よりもう少し自由度のある働き方がしたいと思っていました。

経済学部だったこともあり大学生になってから会計士の仕事があることを知り、まずは1年生で簿記の3級を受けました。でも、その後はサークル活動や友達と遊ぶことが楽しく、勉強はあまり真面目にはしていませんでした。

大学2年の秋に20歳になり、「そろそろまじめに将来のことを考えるか」と思って、最初に思い浮かんだのが公認会計士でした。中央大学は司法試験や公認会計士試験に力を入れていて、大学内に自主運営の予備校があるんです。パンフレットなども目にしており、「数字が得意だし、いろんな会社のことを見られて資格も持てていいかも」と思いました。それまで特に「〇〇屋さんになりたい」とか、「〇〇の選手になりたい」といった情熱を抱いたことがありませんでした。それもあり、他の人の熱い想いを聞いたり応援したりすることが好きでした。さまざま仕事に深く関与でき、経営者の想いを実現するためのパートナーに近い存在になるためには、会計士や税理士の仕事がベストだと思い、この業界を選びました。

ただ、予備校に通うにはお金もかかりますし、資格試験に合格するのは簡単ではありません。勉強を始めたらインターンシップや就職活動をする時間はなくなるので、「この道に進むんだ」という覚悟は必要でした。

――当時はどれくらい勉強していたのでしょうか?

大学の授業と並行しながら、毎日朝から夜遅くまでひたすら勉強していました。会計士試験は年に2回あり、短答式試験と論文式試験に分かれています。3年の5月にまずお試しで短答式試験を受けたのですが、勉強を始めて間もないのでもちろん落ちて、その後12月の試験も不合格でした。さらに、4年生の5月にも落ちてしまって、新卒で公認会計士として働くことはできない状況に。お金もギリギリになって、親からは「次の試験で落ちたら一般企業に就職しなさい」と言い渡されました。いま振り返るとそのときが一番つらかったですね。八王子市の家賃2万円の部屋で極貧生活を送りながら、ひたすら勉強をしていました。

――「次で最後」と崖っぷちになり、そこからさらに集中して勉強したのですね。

いえ、それが違っていて、逆に勉強を少しやめたんですよ。それまでに受けた試験はあと2%など本当にギリギリで落ちていたんですね。模試だと合格ラインをとれていました。朝から晩まで勉強しても受からないなら、きっと勉強のやり方が悪いんだと思って、勉強時間を減らして焼肉屋でバイトを始め、ジムにも通いました。試験にはカンが必要な部分もありますし、脳には運動が一番だという情報を見て、健康を大事にしようと思ったんです。
そうして焼肉屋のまかないを食べてジムに通っていたら、52kgだった体重が60kg強にまで増えて、すごく健康になりました(笑)。それで、最後の挑戦となる4年生の12月の試験では、ものすごく良い成績で受かりました。短答式試験の合格率は10%程度なので、そのときは本当に嬉しかったです。その後、論文式試験は2回目で合格しました。

さまざまな分野の専門家たちとチームで対応

――試験に合格した後は、どのようにキャリアを積まれたのでしょうか。

大学を卒業後、論文式試験に受かるまでは大手税理士事務所のPwCで有期雇用契約の社員として働きました。ここではじめて家賃2万円の部屋から脱出し、23区内に引っ越しました。
試験に受かってからは太陽有限責任監査法人で2年間働きました。公認会計士になるには実務経験が3年必要なのですが、PwCで働いた期間もカウントできたので、ちょうど3年経った2021年11月に26歳で独立しました。

――士業は経験が問われる仕事だと思います。なぜ早期の独立にこだわったのでしょうか?

「経験を積んでから」と言っていたら、永遠に独立しないだろうなと思ったんです。今も経験豊富な外部の方に手伝っていただいており、チームを組めば自分の経験や知識を補うことができます。

ただ、自分で稼ぐ感覚を養うことが大事だと思ったので、独立前に小売業で副業を始めました。物を仕入れて売るという基本的なビジネスモデルの中で、一通りの会計処理を実際にやってみて感覚をつかみました。副業である程度の収入を得られていたことで、起業でうまくいかなかった場合のリスクヘッジにもなるという安心感もありました。

元気くん本文内

佐久間元気(さくま・げんき)
公認会計士・税理士/GIVER公認会計士・税理士事務所 代表
1995年生まれ。中央大学経済学部卒業後、公認会計士試験に合格。PwCと太陽責任監査法人を経て、2021年に独立。主に創業期の会社を税務面から支えている


――いまの事業内容や、GIVERの特徴を教えてください。

税務業務がメインで、お客様は20代、30代の経営者が運営する創業期の会社が多いです。ITや広告、SNSマーケティングなど業種はさまざまで、だいたい従業員10人以下ですね。個人事業主から法人化するフェーズでお手伝いすることもあります。
社員は2人で、そのほか難しい案件のアドバイスをしていただく外部の国税OBの税理士さんと連携したり、弁護士の方に役員に入っていただいたりして日々の業務を進めています。

お客様の多くが若い経営者なので、ITを使って業務を効率化しているのが特徴です。日ごろのやりとりはチャットを使い、資料はクラウドにアップ、打ち合わせもほぼオンラインです。今後はAIもどんどん活用していきたいと考えており、チャットボットを入れて簡単な質問に答えられるような仕組みも準備しているところです。

税務業務ではないですが、事業がマッチングしそうなお客様同士をつなげたり、必要な人を紹介したり、ビジネスを拡大させていくためのお手伝いもしています。会社の成長を数字ですべて見ることができますし、お客様の事業が拡大する瞬間に立ち会えることが喜びです。

――今後の展望を教えてください

まずは社員を10人まで増やして、安定したサービスを提供できるようにしたいですね。数字が得意で細かい作業を丁寧にできる人に仲間になってもらいたいと思っています。
そうしてしっかり基盤を作った上で、さまざまなスペシャリストとチームを組んでお客様の課題を解決していきたい。会社経営は税務以外にもさまざまな要素が絡み合うので、弁護士さんなどその分野に詳しい専門家とチームで対応していく体制を作りたいと考えています。

また、試算表はきちんと分析して経営に生かしていくことが重要です。経営の意思決定に役立つ分析をして経営課題を解決できるような、経営コンサルティングの事業も今後展開していく予定です。

(文/尾越まり恵)

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