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私の決断は、日本の大学に在籍中の2011年に、「音楽で生きていく」と決めて韓国に帰国し、歌手を目指したことです。

1988年、韓国の南に位置する光州広域市で生まれました。両親が言うには、「よく喋る、うるさい子どもだった」そうです(笑)。
母が音楽大学でバイオリンを勉強していた影響もあり、自分も幼少期から音楽が好きでした。歌うのが楽しいとはじめて思ったのは、小学生のときです。母が車の中で歌手のソン・チャンシクさんの曲をよくかけていて、それにハーモニーをつけて一緒に歌っていたんです。
でも、そのときは特に将来歌手になりたい、と思っていたわけではありません。両親が私に望んだのは、経済や経営を学び、ビジネスマンになることでした。

ニュージーランド留学中に
日本語の通訳を頼まれた

両親の教育方針で高校はニュージーランドに留学し英語を勉強しました。滞在中、暮らしていた寮に日本からラグビーの交換留学生が来たことがあり、寮の先生から「同じアジア人だから通訳してくれ」と頼まれたんです。
確かに同じアジア人ではありますが、当時の私は日本語は話せません。でも、たいていの韓国人は「食べる」「寝る」といった簡単な日本語の単語は知っています。何となく会話をしているうちに、日本語をちゃんと勉強してみたいなと思うようになり、日本語の授業も受け始めました。

韓国ではなく海外の教育を受けてほしいという父の希望により、大学は日本の立命館アジア太平洋大学(APU)を選びました。立命館といっても、APUは京都ではなく、大分県の別府市にあります。海と山と温泉の街で、遊ぶところは少なく、友達と寮でお酒を飲むのが楽しみでした。

高校時代に少し勉強したとはいえ、大学に入学した当時は日本語はほとんど聞き取れませんでした。日本の友達と朝まで飲んでいても、彼らが何を話しているかわかりません。
最初は「眠いな……」と思いながら、ただ聞いていました。
しかし、何カ月か経ったときに、「あれ? なんか話の内容がわかるな……」と気づいたんです。おそらく友達も私のためにゆっくり話してくれたのだと思いますが、こうして私は少しずつ日本語を習得していきました。

「せっかく日本に来たのだから、東京に行きたい!」と考えて、講義を調整して4カ月間、東京で暮らしたこともあります。新宿区の狭く古いアパートに住み、表参道のカフェでアルバイトをしました。東京の思い出は、毎日毎日、ひたすら皿洗いをしていたこと。
学生時代は、楽しい思い出もたくさんありますが、それ以上に大変なこと、つらいことが多かった。でも、だからこそ、日本で暮らした日々は10代の頃の強烈な思い出として刻まれています。日本を思うときには郷愁を感じますし、一緒に過ごした友達のことを思い出し、懐かしい気持ちになります。

「何のために生まれてきたのか?」
兵役をきっかけに考えた

大学時代に一度韓国に戻り、2年間兵役を務めました。軍隊のプログラムの中で、「自分は何のために生まれてきたのか」「何をすれば幸せになれるのか」という問いを投げかけられる機会がありました。兵役を終えて大学に戻ってからも、ずっとその問いが頭から離れませんでした。

私はそれまで、親に従順ないわゆる「いい子」でした。高校も大学も、自分の強い意志があったわけではなく、親が望む通りの道を歩んできたのです。

――私は何をすれば幸せになれるのだろうか。

自分が幸せになれることをして生きていきたい、と思いました。
しばらく考えて、私は答えを出しました。

――自分は音楽が大好き。歌うのが好き。だったら、歌手になろう!

このとき私の背中を押してくれたのが、歌手の大先輩であるイ・ソラさんの歌でした。兵役中に聞いていたアルバムの歌詞カードには、手書きでこう書かれていました。

「私は、歌うために生まれた種である」

私が生まれた理由も、歌だったらいいな、と思いました。
ちょうどその頃、日本では韓国人歌手のBoAさんが人気でした。ビザの関係で、日本で歌手を目指すのは恐らく難しいだろう。でもいつか、BoAさんのように日本語で歌を歌える歌手になって日本に来よう。そう誓って、私は大学を中退し韓国に帰りました。

ポールキム氏1

兵役中に投げかけられた問いから「音楽で生きていく」と決めた


歌手になろうと決めてからは、すぐに行動に移しました。先輩の歌手を見ても、多くが10代からデビューしています。オーディションにも年齢制限があり、当時すでに23歳だった私は「遅い。いますぐ挑戦しなくては」と思ったのです。

しかし、そんな私の行動に両親は驚き、猛反対します。
「歌手になるなんて絶対にダメ! 学校を辞めるなら、もうあなたには会わない」と言われました。しかし、このときはじめて、私は両親の言葉を聞きませんでした。「これは自分の人生であり、私自身が歌手になると決めたんだ。両親には素敵な歌手になった姿を見せればいい」と考え、自分の意志を曲げることはありませんでした。

両親は「大学に籍を残すように」と私を説得しました。でも、私は退路を断ちたかった。もう戻る場所はどこにもない。前だけを向き、私は歌手になる夢へと歩み始めました。

オーディションは全滅
夢を諦めかけたことも

覚悟を決めてソウルに出てきたものの、どうしたら歌手になれるのか、さっぱりわかりません。そこで、とりあえずソウルの江南(カンナム)にある有名な音楽塾に入ることにしました。音楽の技術を学ぶというよりは、そこに行けば何か道が見えるのではないかと思ったのです。

でも、塾に入っても歌手になれないとすぐにわかり、数カ月で辞めて、そこからは当時流行っていたテレビのオーディション番組のオーディションを手当たり次第に受けました。しかし、全然受かりません。

両親からは毎日のように「大学に戻りなさい」と連絡が来ていました。オーディションの落選通知を受け取るのはつらく、自分でも「大学に戻った方がいいのかな……」と考えることもありました。でも、不思議と「もう無理かもしれない」と思ったときに、何かしら道が開けていくのです。ラジオのオーディションから仕事につながったり、人づてに仕事を紹介されたり。そのたびに、「もうちょっとだけ頑張ってみよう」と思って、続けることができました。

2014年にインディーズではじめてのCDをリリース。その後にリリースした「Rain(비)」がはじめてテレビCMに起用され、2018年には「Every day,Every Moment(모든 날, 모든 순간)」がテレビドラマのOST(Original Sound Track)として流れて、多くの人に知ってもらうきっかけになりました。
私にとってこれがはじめてのOSTで、その仕事をいただけただけでも幸せなことでしたが、発売から1カ月、2カ月経つごとにどんどんチャートの上位に上がって話題になったときにはとても驚きました。

ポールキム氏フェス写真

「Rain」がCMに起用されてからは、音楽番組や音楽フェスにも出るようになった


その後の「Me After You(너를 만나)」ではじめて音楽番組で1位を獲得。そこでようやく、両親に歌手としての自分を認めてもらうことができました。
母は「私が反対したから、ここまで頑張ってこられたんでしょう。あなたが歌手になれたのは私のおかげよ」と言っていました(笑)。

「いつか日本で歌いたい」
その夢をついに実現

そこからは、どんどん仕事が忙しくなりました。ようやく歌手として認められて嬉しい反面、大好きな友達と会う時間もなくなり、「何のために私はこんなに忙しくしているのだろう……」と悩む時期もありました。

そこで、今年の1~2月には思い切ってまとまった休みを取得。エネルギーをチャージして、「ここからまた仕事を頑張れるな」と思いました。
 
今後はコロナ禍で中止になってしまった海外でのライブにもたくさん挑戦したいと思っています。『ホテルデルーナ~月明りの恋人~』など、ドラマのOSTを担当したことで、日本の皆さんにも知っていただけるようになりました。最近では、話題のドラマ『涙の女王』でOSTを歌ったり、NewAlbumでは女優のハン・ジミンさんとデュエットしたりもしています。

大学生活を過ごした日本は、私にとって特別な場所です。そんな日本で、今年5月に初のコンサートを開催することが決まりました。ファンの皆さんと触れ合える「ファンコンサート」にする予定です。大学時代、「いつか歌手になって戻って来る」と誓った日本で歌うことができる。これは最高の喜びです。

ポールキム氏ライブ写真

日本で初のファンコンサート開催が決定


「歌手になる」と決めてからの道は、いま振り返ってもとても険しいものでした。手探りで進んできたので、たくさん遠回りをしたなと思います。いい経験ではありましたが、もう二度と戻りたくはありません。だから、売れていない頃の自分に戻らないように一生懸命頑張ろう、と思っています。

自分自身が歌うために生まれてきた人間かどうかは、正直わかりません。ただ、確かに言えることは、私は幸せになるために生まれてきた、ということです。そして、自分を幸せにしてくれるものは音楽である、と確信しています。

(文/尾越まり恵、写真提供/WHYESエンターテイメント)

ポール・キム
歌手
1988年、大韓民国、光州広域市生まれ。ニュージーランドの高校を卒業し、大学は日本の立命館アジア太平洋大学で経営を専攻。兵役中に自分自身の将来を考え、「歌手になりたい」と決意。兵役を終えて日本に戻ってすぐに大学を退学し、韓国で歌手を目指す。2018年、ドラマのOST「Every day,Every Moment(모든 날, 모든 순간)」が大ヒット。その後も「ホテルデルーナ~月明りの恋人~」や「涙の女王」など数々のドラマのOSTを担当する。NewAlbun「Next stop heart 」では女優ハン・ジミンとデュエット。

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