岡崎さんショート

仕事で追い詰められていた40代半ば、韓国でベストセラーとなったエッセイ『あやうく一生懸命生きるところだった』の原書を読み、勤めていた出版社の退職を決意。翻訳家として生きていく道を選びました。

東京の美術大学に進学したものの、在学中にバブルが崩壊。就職氷河期となり、就職活動に失敗します。舞台の大道具制作会社や編集プロダクション、旅行ガイドの出版社などを渡り歩きましたが、どの仕事も非正規雇用で低賃金の中、数年間必死に頑張っては力尽きる、の繰り返しでした。

一方、プライベートでは20代で韓国の「H.O.T.」という5人組男性アイドルグループにはまります。ひたすらCDを聞いているうちに韓国語を学びたくなり一念発起。ダブルワークで留学費用を貯めて29歳で1年間、ソウルに留学しました。

帰国後は、韓国人留学生のフリーペーパーや韓国語学習誌の編集など、韓国語に携われる仕事を優先して経験し、40代になってからは、韓国の映画やドラマを扱う出版社で働きました。しかし、ここでも自分を追い込みすぎて心身を壊してしまいます。契約社員から正社員に登用された直後でしたが、車内でパニック発作を起こし電車に乗ることができなくなり、ママチャリで通勤するような状態に。

そんなときに手に取ったのが、前述のハ・ワンさんが書いたエッセイでした。40歳を前に一生懸命生きることをやめた著者と自分の感情が重なり、「私は何のために働いているんだろう?」とハっとしました。
周囲のため会社のためと勝手に仕事を背負い込み、本来自分がやりたいことを見失っていた。私は出版社を退職し、年に1冊でも翻訳ができれば幸いだとフリーランスの翻訳家として生きていくことを決めました。

思いがけないチャンスが巡ってきたのは2019年。知り合いの出版関係者に『あやうく一生懸命生きるところだった』との出会いやすばらしさを熱弁していたところ、しばらくして版権を獲得したダイヤモンド社から翻訳してみないかと打診を受けたのです。ほとんど翻訳の実績がない私に任せてもらえたのは、奇跡のようなことでした。2020年1月に発売された日本語版は、国内で20万部を超えるベストセラーになりました。

原作の魅力をいかに読者に伝えるか。これまで培ってきた編集者の目線が翻訳にも生かされているのかなと感じています。翻訳家にとって最も大事なのは、作品に惚れ込み「この作品のすばらしさを伝えたい」と思う気持ち。読んだ人に、著者のことを好きになってほしいという思いで、翻訳の仕事に向き合っています。

(撮影/相馬ミナ)

『あやうく一生懸命生きるところだった』 Amazon

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