通っていた大学を中退して、カナダの大学に入りなおしました。
福岡市生まれで、祖母の代から続くたばこ店を営む家庭で育ちました。たばこ店と言っても昔の商店なのでたばこ以外の雑貨も取り扱いがあり、父親は脱サラをしてたばこ店を継ぎ、母親はそのたばこ店で化粧品の販売をしていました。商店街の中にあるたばこ店が実家というのはイメージもあまりよくなく、好きではありませんでした。
喘息持ちだったことから、呼吸器を鍛えるために小学生の頃からスイミングスクールに通わされたおかげで、私はずっと水泳が得意でした。特に自由形(クロール)とバタフライが得意で、中学では市内入賞常連。チームのキャプテンも務めていました。高校では水泳部がなかったので水球部に入部し、そこでもキャプテンを務めることに。大学は「とりあえず行っておくか」という軽い気持ちで、学費が安いというだけの理由で県内最低ランクの大学を選び、入学しました。
ところが仕方なく通い始めた大学生活はつまらなく、昼は運送会社、夜は居酒屋のアルバイトに精を出し、ほとんど大学には通いませんでした。実は倹約家でもあった私はそうこうしているうちにそこそこの貯金に成功。大学2年生の夏休みに学内に貼り出されていた「カナダ留学」の文字が目に留まりました。お金もあるし、大学もつまらないのでとりあえず行ってみるか。そんな軽い気持ちで行ったカナダへの1カ月の短期留学。そこで私は、人生の大きな転機を迎えることになりました。カナダは空が広く、街がキラキラしていて、いままで感じていたモヤモヤが晴れて心がすっきりするのを感じたのです。
大きなカルチャーショックを受けて帰国した私は、このとき19歳。「どうしてもカナダに行きたい!」という強い気持ちが芽生えました。もともと通っていた大学に何の未練もなかったことから、思い切って退学を決意。英語も得意ではありませんでしたがTOEICで何とか650点以上を取得し、日本の大学の単位も認められるカナダの大学に入りなおしました。経済学部や観光学部も受かりましたが、これからは「情報のシステム化が必要な時代なのではないか」と感じ、インフォメーションシステムズを専攻。当時はまだWindowsが出始めたばかりの頃でしたが、PCを組み立てたりプログラミングを書いたりと、情報システムの世界に没頭していきました。
大学卒業後、帰国。親からの「就職しろ」というプレッシャーを感じて就職活動をし、現在の名村情報システムに入社しました。バスのダイヤを組むシステムから始めて、入社半年で地元の支社から東京へ。三和銀行(現・三菱UFJ銀行)のシステム開発に携わりました。会社で借り上げているアパートは当時ボロボロで汚く、パワハラという言葉のない時代だったので上司は部下の成長を思うあまりの厳しい指導が多く、とても怖かったことを覚えています。おまけに徹夜は当たり前でキツイ、典型的な「3K」の職場だと感じていましたが(現在はいずれも改善されています)、仕事は楽しく、すっかりのめり込んで仕事をするうちに、気が付けば30代後半で執行役員に、42歳で取締役に昇格していました。
勤続28年。勉強も好きではなく、大学にも興味がなかった私でしたが、カナダへの短期留学を1つのきっかけとして、自分のやりたいことを見つけることができました。これからは、これまで挑戦してこなかった新しい領域で、かつ自社の持つスキルとマッチした仕事をどんどん受注し、後輩たちの活躍できる場所をつくっていきたい。「みんながごはんを食べることができる仕事」と私はいつも言っていますが、そのような仕事を生み出して、後輩たちに背中を見せることができたらいいなと思っています。
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