まりっぺショート

大学4年生のとき、大学の試験と舞台の日程が重なり、大学を辞めることを決めました。

母親の勧めで子役の仕事を始めたのは3歳のとき。最初は習い事のような感覚でしたが、子どもの頃からお芝居はずっと私の生活の一部でした。

東京の私立大学に進学し、学生演劇を続けていた頃、父が定年退職をきっかけに心身を壊してしまいました。ケアをしているうちに私も少し気持ちが落ちてしまったんです。
そのうち、「稽古や本番でみんなに迷惑をかけてしまうかもしれない」とどんどん不安が重なり、、一時演劇から離れました。
それまで自分はどんな仕事をしても生きていけると思っていました。でも、お芝居をやめたことではじめて気づいたのです。
――私は、お芝居がないとダメかもしれない……。

「自分」という存在が急に消え失せて、生きている意味を感じられなくなり、そこからまたお芝居に戻りたいと思うようになりました。「1人芝居なら誰にも迷惑をかけずにできるかもしれない」と考え、友達に脚本を書いてもらうなどして演じていました。
父の体調が回復してきたところで、本格的に演劇を再開。そして大学4年生のときに故・蜷川幸雄さんの劇団のオーディションに挑戦して合格したのです。これは私にとって前向きな、大きな変化でした。でも、公演の日がちょうど大学の試験の日と重なってしまった。
――留年してまで私は大学を卒業したいのかな?
父の病気の影響もあり、家計は苦しく学費も払えないような状況でした。アルバイト先の居酒屋の店長さんは「お金を貸すから、大学は出ておくにこしたことはないよ」と言ってくれました。それでも、悩んだ結果、私は大学を辞めることを決めました。思えばそれが、俳優として生きていく覚悟が決まった瞬間だったのかもしれません。

もし大学を続けていたらまた少し違う人生が待っていたことでしょう。けれどあの時の選択に、何も後悔はしていません。
いまは舞台を軸にしながら、テレビドラマやCMなどにも出演の機会をいただき、活動の幅が広がっています。これまでは自分のために演じていたけれど、最近は「繋ぎたい、渡したい」と考えるようになりました。
食べ物や住まいとは違って、エンターテインメントがなくても人は生きていける。そんなことが特にコロナ禍では痛いほど耳に入ってきました。でも、絶対にそんなことはない。なぜなら自分がそうですし、同じような人たちがたくさんいるはず。私は人生には物語が必要だと信じています。少しでも多くの人に物語を届け、日々を彩ってほしい。そのために、私はこれからもお芝居を続けていきます。

(写真/齋藤海月)

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