土屋さんショート

10代の頃から憧れていた映画俳優を目指し、51歳のときに俳優養成所のオーディションを受けました。

演技に興味を持ったきっかけは、小学4年生のときです。授業で演劇をする機会があり経験者の先生に褒められたことが嬉しくて、「意外と向いているのかも?」と思いました(笑)。また、母が映画が好きで、よく「映画俳優」という言葉を口にしていたのも、ずっと記憶に残っていました。
東京の大学を卒業後、大学院に進学。就職活動をしていくつか内定をもらいましたが、「何か違う」という思いが捨てきれず、すべて辞退。北野武監督の事務所に手紙を書いたり「弟子にしてください」と連絡したりといろいろ試みてみたものの、最終的には断られてしまいました。その他の事務所にもアタックしましたが、なかなかうまくいきませんでした。

30歳が見えてきたときに、俳優への夢に一度区切りをつけ、エンジニアとしてメーカーに就職。会社員は就業時間がきっちり決められており、1日の大半の時間を好きでもない仕事に費やすのかと思っていましたが、実際には自由度が高く、セミナーなどで人前で話す仕事もさせてもらいました。
それなりに楽しみながら一生懸命働いているうちに、気が付けば20年以上。40代後半で大阪に転勤し、東京に戻ってきたときには50歳になっていました。この先の自分の人生を考えたときに、「60歳で定年か……自分の会社員人生、もうそんなに残されていないな」と思ったんです。人生100年だとすると、定年した後も40年もの時間が残っています。

――だったら、何かこれまでとは違うことに挑戦してみたいな。

そう考えていたときに、たまたまSNSで流れてきたシルバー俳優養成所のオーディション告知を目にしました。軽い気持ちで受けてみたところ合格し、はじめて演技指導を受けることに。レッスンには、若い頃俳優活動をしていたけれど芽が出ず、再び挑戦している40代の人や、会社を定年退職した60代以上の人など、さまざまな人がいました。

演技のレッスンを始めてからは、物の見方が大きく変わりました。基本的には台本があり、役者はそのセリフの通りに話します。決められたセリフや動作をいかに自然に演じるかが難しい。会話の掛け合いも、相手がセリフを言い終わるのを待ってしまうと、自然な演技になりません。日々の生活の中でも「普通」とは何かをずっと考えるようになりました。

1年ほどレッスンを続けていたときに、演技指導に来られた映画監督に「舞台を経験したほうがいい」とアドバイスされ、舞台にも挑戦。しかし、それが地獄の始まりでした。2時間の舞台に立ち続けるには、体力が必要です。本業の合間にランニングなどの体力づくりをしながら、膨大な量のセリフを暗記する日々。「セリフを覚えるまで家に帰らないぞ」と決め、2時間ほど家の近所を歩きながらひたすら頭にたたきこみました。
舞台に立つ仲間は20~30代の若者ばかりです。「本当に自分のような50代の初心者が舞台になんて立てるのだろうか」と不安になると同時に「まわりに迷惑はかけられない」という焦りで、とにかく必死に練習しました。
そうして迎えた本番で、舞台を観に来てくれた知人たちが「不覚にも泣いちゃったよ……」「土屋の演技を見て元気が出たよ」と言ってくれたときは、「挑戦して良かった!」と、これまでの努力が報われた思いでした。

その後、インディーズではありますが、目標だった映画出演も叶いました。演技には演じる人の生き様がにじみ出るものだと思うので、これまでの経験を生かしていきたい。目標は、メインキャストで映画やドラマに出演することです。
定年まであと4年。役者としての挑戦を続け、後輩たちに「カッコいい」と思われる先輩でありたいと思います。

(構成/尾越まり恵)

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