増田 利満

35歳でプロテニスコーチを辞め、父の会社を継いで高齢者向けのライフケア事業に注力することを決めました。

昔から運動が好きで、小学校では水泳、中学校ではバドミントン部に入り、高校では自宅近くのテニススクールに通いました。運動は得意でしたが、その道のトップアスリートたちに囲まれると自分はいつも劣等生。テニスも上達のスピードが遅く苦労しましたが、それでも関東ジュニアランキング上位の小学生に励まされながら、努力しました。

高校卒業後は浪人生活をしながらテニスショップで働き、ガット貼りやラケットの販売のお手伝いをしながらテニス周辺の知識を深めていきました。結局4年ほどのアルバイト期間中に「テニスに関わっていきたい!」「プロにはなれなくても、かっこいいコーチになりたい!」と思うようになりました。本格的にテニスを学ぼうと21歳のときに渡米。フロリダで2カ月トレーニングすると技術と体力が飛躍的に向上し、帰国後、晴れて22歳のときにテニススクールのコーチに就任しました。

筑波大学大学院体育学部体育心理研究室で理論を学びながら、医師や弁護士、経営者などの富裕層が通うスクールでテニスコーチとして働く日々。スパルタに指導していると「熱血コーチ」として生徒たちの間で評判となり、個人レッスンを依頼されたり、大企業の忘年会に呼ばれたりと、多くのレッスン生から信頼を得ることができました。また、生徒は40代以上の女性が多く、子育てを終えて第2の人生における社会参加としてテニスを始める方も多くいます。次の楽しみ・生きがいを模索している人々を見ながら、社会的にそういった年代の人たちが活躍できる場所があればいいのに、とも考えていました。

そんな頃、清掃事業を手掛ける会社を経営している父から一度大阪の「ダスキン21世紀フォーラム」という展示会に一緒に行くように言われました。展示会が開催されたのは2000年のことで、父が社長であることは無論知っていましたが、事業内容はたいして知りませんでした。とはいえ母からは20歳の頃から家業を継いでほしいと言われていたこともあり、大阪行きを承諾。その展示会で、米国No. 1シニアケア事業のホームインステッドという高齢者向けの訪問介護・家事代行を手掛ける企業の副社長と出会いました。話を聞くうちに、「これだ!」と直感したのです。このビジネスは社会的に必要であり、そこで活躍できる人たちもたくさんいる!

35歳で父の会社に入社すると決め、個人レッスンで引き継いだ生徒にテニスを教えながら一般企業に就職。35歳で父の会社に入社し、その後、社長に就任しました。現在はダスキンのフランチャイズ加盟店として、高齢者向け介護保険外自費サービス、家庭向け・事業者向け清掃事業、害虫駆除事業を展開しています。清掃に特化したサービスからライフケア事業に舵を切ったことで売り上げも上昇。20年前から始めたライフケア事業ですが、現在ダスキンのライフケア事業では全国2位の成績を収めています。

リーマン・ショックや東日本大震災、新型コロナウイルスなど、社会的には厳しい時代もありましたが、高齢者向けサービスの需要は高く、それらの社会的情勢の影響を受けずに事業を続けることができたことは幸いでした。今後も高齢者の心のケアまで寄り添う丁寧なサービスを心掛けながら事業を継続していければと思っています。

(構成/岸のぞみ)

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