中原亮

浪人生として受験した2度目のセンター試験。希望していた医学部に行くことが難しいと知ったとき、医学部受験を諦め、北九州市立大学外国語学部への進学を決意しました。

6歳年下の病気がちな妹を気にかけながら育った幼少期。子どもの頃から勉強が好きで中学校からは進学校へ。中学・高校では生徒会長などを歴任していた私に、周囲の⼈たちは医学部受験を勧めてくれました。私自身も「人を助ける仕事がしたい」と漠然と考えていたため、医学部受験を決意。ところが1度目の受験に失敗し、浪人して臨んだ2度目のセンター試験も残念ながらうまくいきませんでした。浪人は1年限りと決めていたため、自分が本当にしたいことは何なのかをこのとき見つめ直しました。

最も得意な科目は英語だったし、思い起こせば、中・高で経験したシンガポール留学生たちとの国際交流はとても心に残るものだった。医学部を目指していたときも、ゆくゆくは国境なき医師団などに入ってみたいと考えていたこともあったな――。

そこで、自分にとってもっとも興味のある分野は国際協力なのではないかと気づくことができました。理系から文系への転身。でもあまり迷いはありませんでした。大学受験に2度失敗したというプロセスも自分にとっては大事だったと思います。1年で諦めていたら、「もっと勉強したら医学部に行けたのでは」といつまでも未練が残ったはず。でも2年間、自分でやれるだけのことはした。叶わないと思ったときに、本当にやりたいことも見えた。

周囲の勧めや期待とは関係なく、自分自身で下した大きな決断。この一歩を踏み出せたことで、その後も主体的に人生を歩むことができるようになりました。大学時代のアメリカ留学も、認定NPO法人PIECES、オックスファム・インターナショナルなどでの活動も、あの日、外国語学部を受験し、国際関係学を専攻できたからこそ切り拓けた道。結果、国内外問わず人や物の行き来を繋いでいく活動は現在に至るまで私のライフワークになっています。大学院でもう少し深く勉強してみたいという思いもあり、今後もそれらの活動に寄与していきたいと考えています。

認定NPO法人PIECES  公式ホームページ 
Oxfam International  公式ホームページ

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