川﨑洋介

47歳で精神科医から経営者への転身を決意しました。

高校生のときに6歳上の姉を白血病で亡くしました。悲しみとともに、病気、そして人の死という不思議なものに興味を抱くようになり、高校卒業後は杏林(きょうりん)大学医学部へ。当初はがんという病気に興味を持っていましたが、医学を学んでいくうちに、病気というより人に興味を抱くようになりました。研修医のときに、統合失調症の方の幻覚の話を見聞きするにあたり、「なんでこんなことを言うようになるんだろう?」と疑問を抱くようになり、精神医学そのものよりは脳の働きを研究したいと考えるようになりました。そこで2003年に杏林大学大学院医学研究科へ進学。脳科学と精神医学を融合する認知神経科学を研究しました。

大学院修了後は特定医療法人南山会(なんざんかい)峡西(きょうさい)病院精神科での勤務を開始。よく「精神医療の医療従事者の方が精神的にまいってしまうのではないか」というような質問をされるのですが、実際はその逆で「人間はこういうときに弱くなるんだな」と患者さんから教えてもらうことも多く、強い人間や完璧な人間なんていないんだということも実感できるようになります。精神科は長い付き合いになる患者さんも多いので、病気そのものだけでなく、患者さんの人生を見つめるようにもなっていきます。

例えば、摂食障害の患者さんに無理やり流動食を食べさせるようなことも昔はありましたが、それは一時的な解決にしかなりません。その上、患者さんを傷つけることにもなってしまいます。病気だけ見て説教したところで信頼してもらえません。信頼できると思ってくれるようになったら、そこからようやく治療をスタートできる。いまでは20年以上付き合いのある患者さんもいます。そんな治療のノウハウを一つひとつ学んでいきました。

そんな中、2018年に院長職を拝命しました。院長になってもやることは変わらず、診療して後輩指導をして、という日々が続いていました。10年ほど経つと理事長になるのかなと考えていた矢先、理事長の経営方針に現場からの不満が爆発。現場と理事長との板挟みとなってしまった私はこのままだと組織が崩壊してしまうと感じました。理事長にも率直にそのようにご説明したところご理解いただき、急ではありましたが2022年に私が理事長に就任することとなりました。

理事長とは、自身が運営している病院並びに介護老人保健施設等の統括をする社長職のような立場であり、病院経営のみならず、介護・福祉のことも学んでいく必要があります。現場の不満を解消するために「改革しよう」と意気込みだけはありましたが、何から着手していいかわかりません。とりあえずみんなの声を聞こうと各種制度ややりがいなどについて職員全員にアンケートを実施。「現場のことを何もわかってない人が理事長になるな」等々、結果は惨憺(さんたん)たるものでした。

100人100通りの批判がありましたが、「勇気を出して率直な意見を言ってくれたんだから、ここに書かれている不満の真逆のことをやろう」と決意。病院経営の育成塾を1年間受講して病院経営について学び、起業家支援プログラムを手掛ける山梨イノベーションベース開催のイベントにてさまざまな起業家の意見も聞きました。故・稲盛和夫さんのフィロソフィ経営に関する書籍読んで、初年度は自身の考える病院経営の在り方について情報を発信。バリューから始めて、ビジョン、ミッションと順に定め、2024年には「医療と福祉と介護の力で、誰もが幸せだと思える世界を創造する」というパーパスに辿り着きました。

医療従事者の自己犠牲の上に成り立っていたのがいままでの医療です。ですが、誰かの犠牲の上にしか成り立たないような幸せは本当の幸せではありません。3年間改革を続け、先日再び職員アンケートを実施してみたところ、かつてのような辛辣な意見は減り、「不満はもちろんあるけど、やろうとしていることは理解できる」「このパーパスがあると頑張ろうと思える」という声が聞かれるようになりました。

私ができることは職員を幸せにすることです。職員を幸せにすることができれば、職員が患者さんを幸せにしてくれる。そしてその循環が広がっていく。これからもその信念のもと、精神科医として、病院経営を担う理事長として努力していきたいと思います。


特定医療法人南山会 峡西病院 ホームぺージ

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