25歳のときに、陸上自衛隊に入隊しました。生まれ育った街の隣に自衛隊の駐屯地があり、親が自衛官という同級生もいました。その中には大人になり親と同じ自衛官の道に進んだ友人もいました。
大学を卒業後、やりたいことが見つからず、フリーターとしてフラフラしているときに起こった東日本大震災。学生時代、一緒にバカばかりしていた友人が、自衛官として被災地に派遣され救命活動をしていました。自分は一体、何をしているんだろう……と、恥ずかしくなった。自分も災害支援がしたいと考え、自衛官の試験にチャレンジしました。
中学3年生で野球に挫折して以来、スポーツとは無縁だった自分にとって、自衛隊の訓練はとてもキツいものでした。でも、仲間と一緒に過ごす寮の暮らしは、まるで部活の合宿みたいで楽しかった。大学時代に勉強もせず麻雀ばかりしていた自分にとっては、まさに遅れてきた青春でした。
3年間、自衛官を務めましたが、災害派遣の機会がなく、昇進のタイミングで再度自分のやりたいことを見つめ直しました。自分は誰を守りたいのか? と考えたら、一番は家族だと思った。地元に貢献できる仕事として公務員試験を受け、今は役所でインフラに関わる業務を担当しています。この仕事もまた、災害時に人々を守ることにつながっています。
大学を卒業後、やりたいことが見つからず、フリーターとしてフラフラしているときに起こった東日本大震災。学生時代、一緒にバカばかりしていた友人が、自衛官として被災地に派遣され救命活動をしていました。自分は一体、何をしているんだろう……と、恥ずかしくなった。自分も災害支援がしたいと考え、自衛官の試験にチャレンジしました。
中学3年生で野球に挫折して以来、スポーツとは無縁だった自分にとって、自衛隊の訓練はとてもキツいものでした。でも、仲間と一緒に過ごす寮の暮らしは、まるで部活の合宿みたいで楽しかった。大学時代に勉強もせず麻雀ばかりしていた自分にとっては、まさに遅れてきた青春でした。
3年間、自衛官を務めましたが、災害派遣の機会がなく、昇進のタイミングで再度自分のやりたいことを見つめ直しました。自分は誰を守りたいのか? と考えたら、一番は家族だと思った。地元に貢献できる仕事として公務員試験を受け、今は役所でインフラに関わる業務を担当しています。この仕事もまた、災害時に人々を守ることにつながっています。