実家は埼玉県できゅうりを生産する専業農家。幼い頃から親の姿を見てきて、自分も誰かに雇われるのではなく自分の力で生きていきたいと考えるようになりました。中学校の卒業文集には、「社長になりたい」と書いたのを覚えています。
スーツを着て働くことに憧れがあり、大学卒業後はまず印刷会社で営業職として働きました。価格で戦うのではなく、自分のアイデアで勝負がしてみたいと考え、27歳でマーケティング会社に転職。小さな会社でしたが、クライアントは一部上場の大手企業ばかり。裁量の大きさも魅力でした。
しかし、ここで大きな壁にぶつかります。印刷会社では指示されたことをただやっていたために、指示をされない環境では自分が何をすればいいのかまったくわからなかったのです。
――自分はこんなに仕事ができない人間だったのか……。
社会人になってはじめての大きな挫折でした。しかし、ちょうど結婚が決まったばかりのタイミング。逃げるわけにもいかず、必死に勉強してスキルを磨いていきました。指示を待つ仕事の仕方から、自ら考え行動する働き方に変わったのはこのときからです。
そこから20年ほど仕事は順調で、小さかった会社も20人ほどの社員を抱える会社に成長していました。ところが2022年、青天の霹靂ともいえる大事件が起こったのです。
突然、社員全員が集められ、役員から宣告された信じられない言葉。
「会社の業務は今日まで。明日から会社はなくなります」
――え、会社がなくなる?
――進行中の仕事は? お客様は?
にわかには信じがたく、頭が真っ白になりました。
お客様とは関係を積み重ねてきた20年の歴史があります。次第に悔しさが湧き上がってきました。そして同時に思い浮かんだのは中学生のときに目指した「社長になりたい」という夢。それを叶えるのはこれが最後のチャンスだと思いました。
子どもはまだ小学生です。無謀な挑戦だとわかってはいましたが、残った社員数名を引き連れ、起業することを決めました。
最初の1年は、苦しい状況が続きました。できたばかりの小さな会社では与信が通りにくく、ほとんどのお客様とは仕事を継続することが叶いませんでした。それでも諦めず営業活動を続ける中で、最も長いお付き合いだった大手食品会社が取引を決めてくれたときは、涙が出るほど嬉しかった。サービスの幅を広げるためにPRの手法も学び、2年目からは「マーケティング×PR」という強みもできました。
社長としてのプレッシャーはありますが、3年後、5年後のなりたい姿を自分で描いていけることに喜びを感じています。仲間とともに、これからもっと会社を成長させていきます。
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