16歳で骨肉腫になり、苦しい闘病生活を経て何とか社会復帰を果たしました。その経験をいま困難に直面している人に伝えたいと考え、YouTubeでの発信を始めました。
生意気で無邪気で好奇心旺盛。サッカーとバスケットボール、陸上を掛け持ちするようなスポーツ少年だった僕の体に異変が起こったのは、高校2年生の夏。右肩がものすごく痛かったんです。最初はバスケットによる筋肉痛かなと思っていたのですが、なかなか痛みがおさまらないので、近所の病院へ。その後、大きな病院で精密検査をした結果、骨にできる悪性腫瘍「骨肉腫」と診断されました。
聞いた瞬間、頭によぎったのは「?」でした。当時10代の僕にとって、がんはタバコとお酒によってなるもの、というイメージしかなかったのです。当然、煙草も吸わなければ、お酒も飲みません。そんな僕が、なぜ?
手術や抗がん剤治療の大変さも想像できていなかったので、最初は不安も恐怖もありませんでした。しかし、2回目の手術で右腕を切断することに。もう二度と、大好きなスポーツはできない。それどころか、「きちんとリハビリをしなければ、日常生活もこれまで通りには送れなくなる」と担当医は言いました。一体この先の自分の人生はどうなっていくのか。そのときにはじめて、大きな不安に襲われました。
手術後の抗がん剤治療では激しい副作用に苦しみました。1日15回くらい嘔吐して、38度の熱が出て、とにかく全身がだるい。8カ月寝たきりのこの期間が本当につらかった。こんなに心身がボロボロなのに、生きていく意味があるのだろうか。「あなたはもう死んだほうがいい」と言われているような気持ちでした。それでも、学校に戻りたい。その願望だけがこの世に僕をつなぎとめてくれていました。
抗がん剤治療を終え、何とか高校に戻りましたが、当時は1人でお風呂も入れない状態。体調によっては学校に行けない日もあり、不安定な日々が続きました。しかしスポーツができなくなった自分には勉強しかない、と受験勉強をして、同級生より2年遅れて大学に進学。卒業後は大手自動車会社に就職することができました。設計の仕事に就いたのですが、同級生に遅れをとっていることや、障がいを持っていることで焦ってしまって、頑張りすぎた結果、3カ月目に倒れてしまいます。
退職せざるを得なくなって、そこからニート生活へ。「自分はダメだ」と、どんどん追い込まれていきました。2カ月ほどして飲食のアルバイトを始め、少しずつ自分の好きな料理で生活できるようになり、気持ちが前向きになっていきました。自分を客観的に見られるようになって「自分はそんなにダメでもないのかも」と思えたんです。いままで、周囲と比べて焦ってばかりいたけれど、比べる必要なんてない。自分のやりたいことをやれていれば、それでいいじゃないか、と。
元気になると、闘病中にYouTubeを見て元気をもらったことを思い出し、自分もいま苦しんでいる人に、これまでの経験を伝えたい、と考えるようになりました。思い立ってすぐに1本目の動画を公開。最初はまったくいいねもコメントもつきませんでしたが、1カ月間、毎日アップしていくうちに、少しずつ見てくれる人やコメントしてくれる人が増えていきました。
実は、いま肺にも小さながんがあり、いつか手術が必要になります。その経験もまた伝えられますし、1回戦ったことのある相手なので、10代のときのような不安はありません。やりたいことを諦めていない自分の姿を発信することで、いま苦しんでいる人に少しでも元気を与えられたらと思っています。
YouTubeを見て声をかけていただき、2024年からは春陽会サクラクリニックの広報として働いています。がんの早期発見の大切さや、大切な人ががんになったときにどうすればいいのかなどを伝える講演会の機会もいただいています。病気や障がいに限らず、誰しも人生で困難に直面することがあります。そんなときでも自分を信じて、自分の好きなこと、やりたいことを諦めずに挑戦してほしい。その思いを伝えていきたいと思っています。
(構成/尾越まり恵)
生意気で無邪気で好奇心旺盛。サッカーとバスケットボール、陸上を掛け持ちするようなスポーツ少年だった僕の体に異変が起こったのは、高校2年生の夏。右肩がものすごく痛かったんです。最初はバスケットによる筋肉痛かなと思っていたのですが、なかなか痛みがおさまらないので、近所の病院へ。その後、大きな病院で精密検査をした結果、骨にできる悪性腫瘍「骨肉腫」と診断されました。
聞いた瞬間、頭によぎったのは「?」でした。当時10代の僕にとって、がんはタバコとお酒によってなるもの、というイメージしかなかったのです。当然、煙草も吸わなければ、お酒も飲みません。そんな僕が、なぜ?
手術や抗がん剤治療の大変さも想像できていなかったので、最初は不安も恐怖もありませんでした。しかし、2回目の手術で右腕を切断することに。もう二度と、大好きなスポーツはできない。それどころか、「きちんとリハビリをしなければ、日常生活もこれまで通りには送れなくなる」と担当医は言いました。一体この先の自分の人生はどうなっていくのか。そのときにはじめて、大きな不安に襲われました。
手術後の抗がん剤治療では激しい副作用に苦しみました。1日15回くらい嘔吐して、38度の熱が出て、とにかく全身がだるい。8カ月寝たきりのこの期間が本当につらかった。こんなに心身がボロボロなのに、生きていく意味があるのだろうか。「あなたはもう死んだほうがいい」と言われているような気持ちでした。それでも、学校に戻りたい。その願望だけがこの世に僕をつなぎとめてくれていました。
抗がん剤治療を終え、何とか高校に戻りましたが、当時は1人でお風呂も入れない状態。体調によっては学校に行けない日もあり、不安定な日々が続きました。しかしスポーツができなくなった自分には勉強しかない、と受験勉強をして、同級生より2年遅れて大学に進学。卒業後は大手自動車会社に就職することができました。設計の仕事に就いたのですが、同級生に遅れをとっていることや、障がいを持っていることで焦ってしまって、頑張りすぎた結果、3カ月目に倒れてしまいます。
退職せざるを得なくなって、そこからニート生活へ。「自分はダメだ」と、どんどん追い込まれていきました。2カ月ほどして飲食のアルバイトを始め、少しずつ自分の好きな料理で生活できるようになり、気持ちが前向きになっていきました。自分を客観的に見られるようになって「自分はそんなにダメでもないのかも」と思えたんです。いままで、周囲と比べて焦ってばかりいたけれど、比べる必要なんてない。自分のやりたいことをやれていれば、それでいいじゃないか、と。
元気になると、闘病中にYouTubeを見て元気をもらったことを思い出し、自分もいま苦しんでいる人に、これまでの経験を伝えたい、と考えるようになりました。思い立ってすぐに1本目の動画を公開。最初はまったくいいねもコメントもつきませんでしたが、1カ月間、毎日アップしていくうちに、少しずつ見てくれる人やコメントしてくれる人が増えていきました。
実は、いま肺にも小さながんがあり、いつか手術が必要になります。その経験もまた伝えられますし、1回戦ったことのある相手なので、10代のときのような不安はありません。やりたいことを諦めていない自分の姿を発信することで、いま苦しんでいる人に少しでも元気を与えられたらと思っています。
YouTubeを見て声をかけていただき、2024年からは春陽会サクラクリニックの広報として働いています。がんの早期発見の大切さや、大切な人ががんになったときにどうすればいいのかなどを伝える講演会の機会もいただいています。病気や障がいに限らず、誰しも人生で困難に直面することがあります。そんなときでも自分を信じて、自分の好きなこと、やりたいことを諦めずに挑戦してほしい。その思いを伝えていきたいと思っています。
(構成/尾越まり恵)
宮澤祐太 YouTubeチャンネル