並木将仁

28歳のとき、アルゼンチンタンゴを極めるため、ブエノスアイレスへの留学を決めました。

小学校は私立和光学園というリベラルな学校に入学。家庭でも学校でも個性や自由を大切に育てられた結果、小学6年生のときには友人と2人で沖縄旅行に出かけるなど、冒険心あふれる少年として育ちました。家族でハワイ旅行に出かけたことや中学生のときに落合信彦さんの『オオカミたちへの伝言』という書籍を読んだことなどに影響され、海外への興味を持つようになりました。

高校2年生のときにイギリスに1カ月間ホームステイ、高校3年生の夏にはアメリカの語学学校に1カ月通うなど準備を進め、大学はアメリカのボストンユニバーシティへ。高校の卒業式の翌日発の便でアメリカに飛びました。そこで出会った友人が習っていたのが、アルゼンチンタンゴでした。当時は『タンゴレッスン』や『フォーエバータンゴ』といったタンゴをテーマにした映画やブロードウェイが話題となっており、タンゴがはやっていたのです。友人が通っていたアルゼンチンタンゴの教室とスペインフラメンコの教室が合同でパーティーを開催するというのでノリでついて行ったのですが、そこで見たダンスがめちゃくちゃカッコよかった! 目を奪われました。そこで大学2年生から2年間、先生を紹介してもらってアルゼンチンタンゴを習うことにしました。

大学卒業後、日本に帰国するとかねてより注目していたコンサルティング会社PwCグループへ。3年間激務と向き合いながら、「女の子にモテたい」「人とは違うアピールポイントを作りたい」と考えてタンゴのレッスンを再開。するとタンゴ教室で知り合った女性と意気投合してお付き合いを始めるうちに「私はアルゼンチンタンゴを学ぶためにアルゼンチンに行く!」と言い出したので、「じゃあ、俺も行く!」と会社を退職し、アルゼンチン・ブエノスアイレスに半年間のタンゴ留学を決めました。2001年、28歳のときの決断です。

そもそもコンサルティング会社を選んだのも、旅行のためのまとまった休みが取りやすいこと、自分の腕で勝負するコンサルティング業界は少々ブランクがあっても復帰しやすいことが理由だったので、退職することに意外と迷いはありませんでした。アルゼンチンではひと言も話せなかったスペイン語を語学学校で習いながらタンゴに打ち込みました。

タンゴは皆さんが想像するよりもずっとローカルな踊りです。ブエノスアイレス以外ではさほど踊られてもいませんでしたし、その後に通った大学院の同級生も誰もタンゴを踊りません。地元のおばあちゃんが地域で踊っているような踊りなのですが、トップダンサーに習っていることに対する刺激やローカルの文化に没入していく感覚に魅了され、どんどんのめりこんでいきました。特に振りの決まっているステージ部門よりも、その場のアドリブで踊っていくサロン(現ピスタ)部門のタンゴが好きで、2005年にはタンゴダンスアジア大会サロン部門で優勝を果たします。

その後、マッキンゼーやカート・サーモン(現アクセンチュア)などのコンサルティング会社、さらにインターブランド代表取締役CEOとして働いた約9年間を経て、2025年にコンサルティング会社、テロス・エロス・エトスを立ち上げました。 テロスは目的、つまり人間性で、人間が人間であるための目的のこと。そしてエロスは情動、つまり動物的で生命的であること。ドライブをかけること。最後のエトスは倫理、すなわちコミュニティや社会性を意味しています。僕は昔テレビ番組で「タンゴとはセックスと同じですね(笑)」と答えたことがありますが、すべてタンゴに通じるものがあります。

タンゴは男性がリードしながら踊りますが、身体知を意識する冷静な側面はもちろん、他者とシンクロすることの気持ちよさ、呼吸が整い融合されていくような感覚はタンゴ特有のもの。それは課題解決を担うコンサルタントも同様で、客観的な数値や根拠、定性的・定量的なエビデンスを提示することはもちろんですが、それだけでは足りません。大局を判断するためのサポートは古典的なコンサルティングだけでは務まらないのです。

コンサルタントや企業の外部アドバイザリーを務めるような人はみんな総じて頭がいい。能力が高いだけだと差別化ができません。アルゼンチンタンゴのアジア大会で優勝した実績は個性にもなりますし、見知らぬ地で修業して成果を出した点は高く評価され、信頼していただけます。結果、TDK、味の素といった大企業のアドバイザリーを引き受けることもできているのです。これからもタンゴで培った感覚と強みを、仕事にも生かしていけたらと思っています。

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