チンくんショート

大学3年生のとき、台湾留学を決めました。その決断が、現在の日本滞在へとつながっています。

出身は、中国・浙江(せっこう)省。1人っ子政策の時代だったので兄弟はいませんが、両親は兄弟が多く、たくさんの親戚に囲まれて育ちました。中学生の頃から、勉強で同級生に後れをとってしまい、少しでも追いつきたくて、家にこもりずっと勉強をするようになりました。

大学受験では医学部を目指したものの合格できず、親の勧めで電子情報工学を学ぶことに。大学に入るまで、家と学校の2つの世界しか知らずに生きてきたので、「もっと外の世界を見てみたい」と思い、入学当初から海外留学を意識していました。漠然とした憧れから、イギリスかアメリカがいいな、と思ったものの、当時の自分の英語力では、聞き取りはできるけれど、話せない。

――英語圏は難しいかもしれない。遠いからお金もかかるし……。

いろいろと調べた結果、中国語圏で距離的にも近い台湾の中央大学を留学先に選びました。

寮で同じ部屋になった3人はみんな中国人でしたが、僕とは違う北部の出身で、はじめて北京の友達ができました。半年間の短期留学で、社会人類学や心理学などさまざまな科目を選択しましたが、特に覚えているのが英語のスピーチの授業です。最初は先生に「あなたの英語は雑」と言われて落ち込みましたが、半年後には「英語の発音が別人のように上手になった」と褒めてもらえた。そのときは、すごく嬉しかったです。

言語を学ぶことが楽しくなり、留学中に日本語の50音もはじめて勉強しました。それまで知っている日本語は1つもなく、正直、韓国語と日本語の違いもよく分かっていませんでした。でも、勉強するうちに「日本語の音が心地いいな」と感じるようになったんです。僕は音楽が好きなので、J-POPにハマり、米津玄師さんの「打上花火」の歌詞にふりがなを振って、歌いながら発音の練習をしました。

音楽を通してどんどん日本語が好きになっていきました。台湾留学を終える頃には日本への思いを抑えきれず、親に電話をして伝えました。

「日本に行きたい」

両親は少し驚いていましたが、「あなたが楽しいと思うことをしなさい」と言ってくれました。とはいえ、大学の授業はまだ残っています。中国に戻り、卒業までの1年半、残りの単位を取得しながら日本語の勉強を続けました。しかし、独学では目標だった日本の大学院の試験に合格できるレベルになるのは難しかった……。コロナ禍が少し落ち着き始めた2022年4月に日本に行き、まずは東京・文京区にある日本語学校に入りました。

1年間、日本語を勉強した後に、MBAを取得できる大学院をいくつか受験しましたが、合格には届かず。あと1年頑張れば、きっと合格できる。その自信はあったのですが、そのときすでに24歳。大学院を卒業して社会に出るのは27歳になってしまいます。

――僕は日本が大好きで、このまま日本で暮らしたい。それなら、大学に行くよりも社会人経験を積み、経済力をつけよう。

そう考えて、日本で就職する道を選びました。
いまは広告代理店で営業として働いています。音楽が好きなので、J-POPの弾き語りなど、音楽活動も少しずつ広げていけたらと思っています。

日本に来てまだ2年ちょっとですが、自分でも驚くほどこの国に馴染んでいます。コンビニでアルバイトをしていたときは、よくお客様のおばあさんに「うちの孫にそっくり」と言われていました(笑)。
将来は、日本で結婚して、家族をつくりたい。血縁関係だけでなく、日本で出会った友達、学校の先生、関わったみんなと「家族」のような関係をつくるのが僕の夢です。みんなが困ったときに助けられるような人になりたいと思っています。

(構成/尾越まり恵)

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